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たまたま読んだ本15:「ナマケモノ教授のムダのてつがく」  あなたは「ムダな人」ですか? 役に立つを超える生き方。愛とは時間をムダにすること。納得!?

ナマケモノ教授のムダのてつがく

コロナ禍の「不急不要を避けよ」の中から、「ムダ」について書くことになった著者。文化人類学者で、スローライフとか、ナマケモノ俱楽部をはじめ、資源やエネルギーのムダ使いに反対する環境問題やシンプル・ライフ運動にも携わってきた経歴から、いわゆる「ムダ」とはかかわりが深いと自負する。

目次を見ると、アマチュア落語家らしいウィットにとんだ文言で、さまざまの角度から「ムダ」について深く考察している。

同書を読むと、「ムダ」について考えることは決してムダでないことがよくわかる。
「ムダ」とは何か?
あるものがある人にとってはムダ(無益、無意味)ではあっても、ほかの人にとってムダではない、ということはよくある。
「ムダ」はひとつのモノサシにすぎない。「ムダ」というのは、いつでもある特定の視点からの、ひとつの価値判断にすぎない、と強調する。

南米先住民の「ハチドリのひとしずく」という話がある。
森が燃えている。
ハチドリがくちばしで水のしずくを一滴ずつ運んで火の上に落としている。
「そんなことをして、いったい何になるんだ」
「私は私にできることをしているだけ」

この話を、日本語の「もったいない」を「MOTTAINAl」として世界に紹介し、環境運動や平和運動に活かしているケニア初の女性ノーベル平和賞受賞者、ワンガリ・マータイに伝えたところ、木を一本、一本と植え続ける「グリーンベルト運動」を「ハチドリ運動」として世界で推し進め、没後も10万人近いメンバーが結集する運動として成長しているという。

また、思想家のサティシュ・クマールは次のように語ったそうだ。「一見、役に立ちそうにない、なんの意味もないモノやコ卜を近くに置いて、それを楽しむ。これは一種のユーモアです。すべてのものが目的へと連結し、効率性に裏打ちされなければならないという社会の風潮の、一種の批判であり、諧謔、皮肉、風刺でもある。詩もそうですね。何か目的があるわけではないし、何らかの役に立つというわけでもない。… ある意味ではムダてす。… 同じことが芸術全般についても言えるでしよう。つまり不必要なものが必要なのです」なるほど、人にはムダが必要なのだ。

他にも、ナマケモノの循環型でムダのない、"持続可能”な生き方や怠け者デイオゲネスをうらやんだアレクサンドロス大王、長屋の大家と怠け者の江戸の小話、ブータンのGNH(国民総幸福)などに続いて、ロパート・ケネディの「国の富を測るはずのGNPからは、私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている」を紹介し、そもそも経済成長とはいったい何のためだったのか。計測できない大切な価値を”ムダ”と見なして、計測できる”富”を増やすために、みんなが懸命に働いて消費に励んできたのは、何のためだったのか。地球環境をこれほど破壊してまで、戦争を引き起こしてまで、私たちが目指してきたのは何だったのか。と疑問を呈する。資本主義社会の宿命?

今年は特に全世界的に40度に達する異常気象だ。これが来年以降も続くとしたら、人類は果たしてこれ以上の地球温暖化を防ぐことができるのだろうか。今、二酸化炭素と水素から都市ガスを生成する親炭素技術「メタネーション」が進行している。つまり植物が行っている炭素循環を人工で行う。はたと思うが、技術進歩のムダさ加減。地球環境を破壊し、それに代わるエネルギーの必要なシステムを作って、どこまで回復できるのか? そのムダでない叡智に期待したい。

著者も、人類を絶望的な窮地に追いこんた要因は、自分たちもその一部である自然をただのモノと見なし、役に立つものと役に立たないムダなものとに分けるような態度だ。そのあげくに、ぼくたち人間は自然界にとっての厄介者、つまりできればないほうがいい、ムダな存在に成り果てている。という。
破壊せずに、ムダな存在だけで済んでくれると地球の全生物は喜ぶだろう。

同書では、まだまだいろいなムダについて思索を広げられる。その一つひとつが興味深く考えさせられる内容だ。長くなるので割愛するが、花の写真を楽しんでいるものとして、最後の部分を紹介する。

花をじっと見る。目をつむってそのり香り楽しむのもいい。でも、それは時間のムダだ、と忙しがり屋は考える。そんなことは何の役にもを立たないし、何の得にもならない、と。
遊んでいる子どもに、大人は言うかもしれない。「ムダなことをしてないで、もっと時間を有効に使いなさい」とか、「もっと大事なことに時間を使いなさい」とか。
しかし、あのキツネ哲学者(サン・テグジユペリ「星の王子さま」)の教えによれは、時間をムダにするとは、効率性、生産性、合目的性などの要請から自由に、自分の時間を生き、自分の人生を生きること。
愛とは、それが何の役に立ち、何の得になるかにはかかわらず、惜しげなく相手のために時間を使うこと。愛はスローで、時間がかかる。だからときどき、面倒くさいこともある。でもたからこそ、愛は愛。
それでもわからない大人は、こう自間してみるといい。
「あなたは効率的に愛されたいですか?」



「ナマケモノ教授のムダのてつがく」
「役に立つ」を超える生き方とは

出版社 : さくら舎
発売日 :‎ 2023/1/11
単行本 :‎ 240ページ
定 価 :‎1600円(税別)

著者プロフィール

辻 信一(つじ・しんいち)
1952年、東京に生まれる。文化人類学者。N G O「ナマケモノ倶楽部」代表。1977年北米に渡り、カナダ、アメリカの諸大学で哲学・文化人類学を専攻、1988年米国コーネル大学で文化人類学博士号を取得。1992年より2020年まで明治学院大学国際学部教員として「文化とエコロジー」などの講座を担当。またアクティビストとして、「スローライフ」、「ハチドリのひとしずく」、「キャンドルナイト」、「しあわせの経済」などの社会ムーブメントの先頭に立つ。
著書に『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社ライブラリー)、『「ゆっくり」でいいんだよ』(ちくまプリマー新書)、『「しないこと」リストのすすめ』(ポプラ新書)など、共著に『降りる思想』『弱さの思想』『「雑」の思想』『あいだの思想』 (以上、大月書店)などがある。

トップ写真:ムラサキバレンギク


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