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"ふつう"を信じていない人のほうが面白い

"ふつう"の枠内において自分がいかに優れているか、みたいなことを自慢してくる人って、多い。

でも、私が救われるのはいつも、"ふつう"ではない人たちの方だ。

"ふつう"なんて、本当は存在しない、

そのことを知っている人たち。

自分の育った家庭環境しかり、学歴とか、人生における"失敗"とか、人から踏みつけられた経験とか…。

そういう、"ふつう"じゃない経験をしている人たちの方が、自分の頭でものを考え、行動すると思う。

物言いが率直で、裏表が少ないのも、こういう人たち。

口は悪かったり、喧嘩っぱやかったりするけれど、

本音で生きてるので、

結局のところ、こういう人たちとは、すぐに仲が良くなる。

自分の本心を見せない人、自分を偽っている人は、自分にも他人にも、正直ではないと思う。

会ったこともない人と、結婚したい、だなんて、ありえるだろうか?

そこにはやはり、なんらかのメリット、報酬があることが約束されていた。

だからそれは、相手のことが"好き"なのではなく、"仕事"だったのだ。

そうでなければ、自分の大切なアカウントを使って数ヶ月もの長きにわたって、人を口説いたりしないだろう。

"ふつう"に考えて笑

それならばまだ、言っていることは滅茶苦茶(会ったこともない人を、"殺したい"とか)でも、本人の気持ちが言葉にストレートに乗っている人の方が、

本人の気持ちは、伝わる(いや、相当ヤバい人と思うけれど。そしてそういう人の気持ちを逆撫でして自分達の利益のために利用しようとした人達も、同じようにヤバい)

顔や名前を明らかにしないでものを言っている人と、

それらを明らかにしてものを言っている人の言葉の重みには、明らかに差がある。

それを鑑みることなく、

なんとなく"それっぽい"で動かされてしまうのは、

私たちが長年飼い慣らされてきた、"心理学とメディア"による庶民の誘導方法なのだろうと思う。

彼らは、自分の立場を明かしていない。

だから、無責任な発言をすることができる。

人を"犬"よばわりしたりだとか、有る事無い事でっちあげて、印象操作で人々を誘導しようとする。

そこに、意味を求めたり、そのわけのわからないところで駆け引きすることにはやはり、

一定の意味だけ持たせていれば良いと思う。

彼らに、自分の意見はあるか?

立場の"ありそう"な人だから、みんな黙っておいた方が"得"だから、黙る、知らないフリをする。

自分の嫌いな誰か(それも作りあげることができる)をおとしめることは、ストレスの発散になるので、

自分のことはさておいて、とりあえず知らない誰かを"落とす"ことに楽しさを求める。

暇人のやることだ。

そういう構造があることを前提として、

SNSは利用すれば良いと思う。

資本は、どこから出ているかな?

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