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本質は、愛ではなかったっけ?

強制されると、それに反発する同じ程度の力が働く。

力が引き合ったところにしか、物事は成立しないようだ。

誰かの立場を代弁する、ということも厳密に言えば不可能だと思う。

代弁してあげたいと思う。

立場の異なる両者を、繋ぐ存在でありたいと思う。

でも、突如として、人の裏切りとも思えるような事象に出合うこともある。

それはおそらく、相手に私が勘違いをさせたのだと思う。

結局のところ、自分の問題には自分が向き合うより他ない。

大きな力を有する人々の、どうしても違和感を感じざるを得ない情報は、それを見るためのエネルギーを割くことさえ、実際には私にとって苦痛だ。

私は、自分の感覚を一番に大切にしている。

見たくなければ、見ない。

そんな義務も、別にない。

タイミングが来たなら、また必要ならば機会は必ず与えられる。

問題をすり替えて、他者を責めても、意味がない。

人の感情や考えていることは、言葉にも表れるけれど、表情や口調、目、身体の向きや仕草などに如実に表れる。

私も、人の本音をよく感じ取ってしまう方なので、その受け取った自分の感覚に基づいて、その後の自分の行動が方向づけられたりする。

本人は、こちらがそこまで、時には本人さえ自覚していないと思われることまで、感じ取っているとは知らない人も多いと思う。

だから、怖がられたり、嫌われたりもするのだけれど…。

しかしこれは、私という人間に備わった性質の一つであるようだし、そのおかげでヨガを教えたりということも、させてもらえていたと思う。

人間関係の図は、すぐに見えてしまう。

これは、子どもの頃から。

力が引き合ったところに、物事は成立する。

そしてそれは、瞬間瞬間、移ろう。

自分のために人を動かしたい、という意図は、必ず相手に伝わると思う。

このご時世で、皆、エゴの働きが強くなっていると思う。

私もそうだ。

でも、これは私たちの表面的な姿に過ぎない。

エゴを壊された先に、真実をありのままに見ることのできる主体が新たに生み出される。

わたしたちの本質って、愛ではなかったっけ。

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