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納豆ご飯

いつも、6時にセットした目覚まし時計が鳴る5分前に目を覚ましていた。

目覚まし時計をリセットしたら、文字通りベッドから飛びおり、顔を洗って口をゆすいで、大きく大げさな伸びをする。冷蔵庫から納豆1パックと生卵を取りだし、卵を白身と黄身に分ける。白身は保存容器に入れて冷蔵庫に戻してやる。納豆を時計回りに30回、反時計回りに20回混ぜたら、付属のタレと辛子をかける。6時にセットした炊飯器の前に立って深呼吸し、その時が近づいている事実に対して顔のニヤニヤが止まらなくなる。

少し待つと、何となく無機質でありながらもリズム良い知らせが部屋中に響き渡った。

炊飯器の蓋を開けると、立ち込める蒸気が僕の顔を覆う。視界全体を占める純白のツブツブへのはやる気持ちを抑えながら、しゃもじを左手に取り、ツブツブを潰さないよう丁寧にほぐしてやる。用意された丼を右手に持ち、しゃもじで1回、2回とツブツブをよそう。よそった真っ白なツブツブの表面をならして、すべての白を覆い隠すように納豆を乗せ、黄身をゆっくり静かに丁寧に頂点に置く。

箸を両手で横向きに握りこみ、「いただきます」とつぶやいた。

高校生時代、毎日の朝食は「納豆ご飯」と決めていた。誰の介入も邪魔も許さない、高校生の僕にとっては数少ない決め事だった。誰にも納得してもらえたことがないのだけど、翌朝の納豆ご飯が楽しみ過ぎるがために、まるで遠足を明日に控えた前夜のように、なかなか眠れない夜がいくつもあった。

朝ごはんを食べないようになった今、「納豆ご飯」をふと思いだすことがある。アーモンドをかじり、熱いブラックコーヒーを喉に流し込みながら、白いご飯を最後に食べたのはいつだったっけと考えた。

健康を気にして白米は避けるようになり、玄米しか食べなくなった。小麦粉は身体に良くないと聞いて、パンを食べなくなった。砂糖は基本的に毒だと本で読み、お菓子を食べなくなった。キッチンの調味料入れから砂糖が消えた。肉は環境にも健康にも悪いと学び、肉を買わないようになった。代わりに豆と野菜ばかり食べるようになった。

野菜調理のバリエーションが増えたし、旬の野菜は塩だけでも旨いことがわかった。豆を使ったカレーや豆腐を使った料理の美味しさに気づくことができた。玄米を噛めば噛むほど米らしい味わいを感じるようになった。カカオ72%のチョコレートが甘すぎると思うようになった。身体の調子はすこぶる良いし、毎日8時間睡眠は欠かさない。

それでも、「納豆ご飯」は今でも時折、僕の欲望を、抗うことを最初から諦めるくらいに、掻き立てる。

ふと高校生時代を思いだしたとき、夜中目覚めて眠れなさそうなとき、少し贅沢したい気分のとき、僕は決まって「納豆ご飯」を準備する。ここぞとばかりに白米を炊き、近くのスーパーで少し高級な納豆(2パック200円くらいするやつだ)と卵を買ってくる。

炊飯器の無機質な音を聴くだけで、眼鏡が曇るほどホカホカの白米を嗅ぐだけで、白米を覆い隠す納豆と黄色の冠を見るだけで、僕は高校生時代に帰ることができるんだ。

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