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スイカ割りに思う、「聴く」を学んでよかったこと(前編)


リスナー研修生のゆき@埼玉です。8歳男の子、5歳女の子がいます。昨日は小学2年生の息子が、夏休みの宿題の読書感想文を書いていました。書き終えた息子の作文を読んでいたら、私も昔は苦手だなあと思っていた作文なのに、なぜだか書きたくなり、書きました(笑) 私が「聴く」を学び始めたのも去年の9月なので、来月新たに学ぶ仲間が増えたらいいなと思う気持ちもすごくあるのですが、作文の内容は超、私感です…。よかったら読んでみてください。


「スイカ割りに思う、聴くを学んでよかったこと。」
家庭菜園をやっている知人から、畑でとれたスイカを頂いた。到底、我が家だけでは食べきれないし、くださった方は(謙遜しながら)「美味しいかわからないぞ」とも仰る。子どもたち二人を後部座席に、スイカ2玉を助手席に乗せての帰り道、ふと、スイカ割りをしよう!とひらめいたひらめき「外でスイカ割りをしようよ。誰かいたら一緒にやろうよ。」と私が言うと、娘は「スイカ割り!?」と嬉しそうな声。

そして、「うちの家族に生まれてよかったー!うちの家族に生まれたからスイカ割りができるからよかった!」と跳ねて喜んだ。私はその言葉をきいて、胸がいっぱいになった。「この家族に生まれてよかった」この言葉は私にとって大きなギフトだ。

私はずっと「よその家の子になりたかった」。他の普通の家族がうらやましくて、それに比べてうちはこんな家庭で、こんな家族だけどしょうがない、そういう家なんだ。とずっと思ってきた。それを嘆くゆとりもなかったし、明るいあきらめは私を支えてくれたとさえ思う。そして、結婚して自分の家庭を築く中では、あの時のような家族にならないように、寂しい関係を繰り返さないように。憧れていた普通の家族の一員になりたいと願っていた。小さな暮らしの中にある、小さくてもあたたかい灯に包まれて、「ほっとするね」って笑顔でふれあえるような日を切実に願いながら、傍らの反面教師を睨んだり、監視したりして過ごしてきた。

そんな中で、「聴く」に出会った。「聴く」が自分の家族の中にもあること。それは、私の切実な願いそのものだと思った。私も聴けるようになりたいと思った。

聴くことを学んで、しばしばでてくる、ある気持ちに気づくようになった。自分の満たされなかった過去を反面教師に、子どもたちには同じ思いをさせたくないと頑張るとき、寂しさでいっぱいになって落ち込む自分がいた。
「手放しで喜んでいる自分の子どもたちがすごくうらやましい。そして、そう思っちゃう自分が情けない」

何度も聴いてもらった。

「私がしてもらえなかったことを当たり前のようにしてもらえて、ずるい」
「わがままで、子どもらしい。でも周りに迷惑かけてないかな。ちゃんとした大人に育つのかな?」
「私だって、母にしてほしかった」
「思う存分迷って、選んでいる子どもたちがうらやましい」

過去を反面教師にして、私が子どもたちに手渡せている、愛や、自由さや、選択すること。だけど、同時に「私にはなかった…」としょぼくれて、胸がつまる。でも、嘆いて聴いてもらう中で、やっぱり手渡したいんだよね。そして、この気持ちは手渡せている手ごたえでもあるよなあ、と思えるようになった。沢山の嘆きを話していったら、最初は拗ねていた小さな自分もだんだんと今の私の話を聴いてくれるようになった。

そして、今、本当に私がやりたいことを応援してくれる。
「みんなでスイカ割りがしたいんだね」       

(後編へ続きます)

長くなったので、続きは明日に。写真は、スイカ割りの様子はカオスすぎて撮る余裕がなかったので、今年やった流しソーメンです。
(2021年8月23日の記事より)

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