京都の一人旅はいいぞ、という話

はじめに

先日、所用で京都に行った。
知り合いのライブを観に行くことが目的だったけれど、調べてみると祇園祭と時期が被っていることが判明したので、せっかくなら、と朝からおけいはんに乗り込んだ。

小学校の社会科で日本史を学んでから、漠然と「京都が好き」な気持ちがあった。
スマホも持っていない頃、母と二人で迷いながら哲学の道から銀閣寺に訪れたのも、今となっては良い思い出。中学校で出会った社会の先生が好きで、そこからは日本史そのものに興味を持ったけれど、やっぱり一番好きなのは「京都に関すること」だった。
そんなこんなで、度々京都観光を繰り返し、色々あって京都のディープでインディペンデントな部分にも触れた学生時代を経て現在。図らずも観光シーズンにライブのお誘いを受けたので、京都観光欲張りセットを敢行することにした。

夏の夜限りと分かっていても

ところで、私は常々京都には、青春のすべてが詰まっているように感じている。トラディショナルで観光客で溢れかえる古都を「青春の真空パック」と表現していたのは、Twitterの読み人知らずだっただろうか。
これを読んでいるあなたの頭の中で流れたのは、フジファブリックだろうか。それともくるり?
私の脳裏には、indigo la Endの『夏夜のマジック』と共に夏の夜の鴨川デルタの思い出が溢れている。

自分の中の擦れた部分が、そんなことを論じている時点でありもしなかった青春時代にしがみついているだけだぞ、と後ろから刺してくるけど、聞かなかったことにする。
ともあれ、京都が感覚的に好きであることは十年以上経った今も変わらないので、つまりそういうことだ。
(私の場合、青春を感じるのは当時の学びや発見による新鮮さが、京都という概念と結びついているからかもしれない)
今回だって、京阪電車の特急電車、洛楽で京都に向かう道中でさえ一人ワクワクしていたので、繰り返しになるがつまりそういうこと。

安心な僕らは旅に出る

無目的な散歩だからこそある出会い、というのを私は信じている。
運命の出会いや一期一会のものに出会えるわけではないけれど(出会えることもあるだろう)、多分おそらく、きっと旅程を組んだ観光では知ることのできなかったあれやそれ。
ふらっと入った路地で見つけた、街中の喧騒が嘘みたいに穏やかな小川。自分の苗字が屋号についた、すっごいおしゃれな飲食店、会員制の屋敷の隅に佇む名もなき水車。どれも、今回の旅で出会った他愛もないものたち。あるいはよしなしごと。

ゆえに、私が冒頭で記した「京都観光欲張りセット」の中身は、
・荷物をなるべく軽くして家を出る
・予定はガチガチに組まない
この2つである。
スマホと財布と、あとついでにウォークマンかiPodかAirPodsでもあれば尚良いと思う。
阪急京都線の終点、京都河原町駅で降りて四条通を歩いて、適当なところで上がる。小川を追いかけてたどり着いた京セラ美術館でルーヴル展を楽しんでから、美術館近くのバス停からバスに乗り込む。
梅雨が明けたのか明けてないのかわからない、雨がぱらつく7月上旬。バスに揺られてぼーっと外を眺めていると、イヤホンから聞こえてくるのは……


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