走りながら考えることを許せませんか
良かれと思ってはじめる。確証はまだない。
じっとしてはいられない。出口が見えているわけではない。
今わかる情報で判断して動き、少し進んで見えたことをもとに
また進む。一直線に正解に進めないが、
思いがけない事態に遭遇するかもしれないが、
そうなるとわかっててやったわけじゃない。
そんなこともわからないのか
わかっている人がいたかもしれないが、教えてくれる人はいなかった。
教えてくれたかもしれないが、聞く余裕がこちらになかった。
逆方向へ舵を切っていても、やはり言われたと思う。
そんなこともわからないのか
政府や国や知事や、経営者や上司や、立場はいろいろあるが、
走り出したから、わかったんだ
走る前にはわからなかったんだ
上に立つ者、役所の無謬性を求めるのはやめられないのだろうか。
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