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自己分析

トップ画像、何度か出したことのある18歳頃に描いた絵。

実家に、画用紙の束で高さ10センチくらいになるかな⁇積み上げられてある。高二の終わりから浪人の間描き続けた絵。(量は残してあるけれど、金と時間は費やしてもらったけれど、これが努力かと言われると、親にお金出してもらってやってたことで努力ではない気がするなぁ…。楽しかったけれど。まあそれはさておき)

こんなに描いてるのに、私は椅子に座った女の人の横から見たイラストを描いてよ、と、話を振られても描けない。

見たまんまは描けるけど、
イメージで描くことができない。

得手不得手は、あるもんだと、思う。

絵を描くのは好きだけれど
イラストを描くのは苦手で
自分の感情を絵に表現することも、別にやりたいことでもない。

ただ、綺麗だと思ったそのままを、肌の柔らかさを、服の質感を、椅子の質感を、そのまま表すことは楽しかった。
けれど自己表現というほどのものでも無く、私は美術にたずさわることは、諦めた。

私自身この絵はまあまあ良くかけてると思う。
中途半端な線は引きたくなかったし、一生懸命見たし、やり切ったと思ってる。

ある程度努力した先にしか見えないことってあるし
やったから言えることってあると思うし
諦めも、まあ、色々やった結果、迎えることもあると思う。

今の私が、なにくそ!と一生懸命になることは、一番はお母さん業だと思っている。

子どもたちに一生懸命生きてるところ見せたいし
美味しいもの食べさせたいし
どうやって生きていくのか、見せたいし、考えさせたい。

この絵を一生懸命描いてたその気持ち、その姿勢は、いろんなシーンで活きてきている気がする。諦めたそれも含めて。

いかに美味しく米を炊くか、というところに夢中になるのはこういうところかなーと思ったり
絶対見栄え良く遠足弁当詰めてやろうと思ったりも、こういうところからかなぁ。

突き詰めて頑張ること、どんなことでも大切だし、後々いきてくるよね、と、思う今日このごろ。

3歳からだらだら続けてきたピアノをようやくちょっと頑張りはじめ我が息子。クラスの合唱コンクールの伴奏に立候補した。
ピアノの先生を頼って自ら補講お願いして、頑張って本番めちゃかっこよく弾いた。
泣けたなぁ。

こういう努力と成功体験を重ねて、大きくなっていってほしいな。
そして、無理なことには首突っ込まなくていいし、近しいことと思えても無理なことは無理だから、細かく自己分析したらいいと思う。絵が描けてもイラスト描けない私のように。

そして私もどうやって寄り添っていくか、全力で考えないとな。

と、そんなことを考えた今日でした。

昼ごはんカップヌードルで夜ご飯外食で、手足が浮腫んで仕方ない笑笑。明日はもうカップヌードルごめんだわ😅

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