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観流

流れゆく日々を岸辺から眺めています。とくに流れに干渉することもなく、大きな不満も充足感もないままに、ただそれを見つめているのです。

アムステルダムのコーヒー豆販売会社でのインターンがはじまってはや2カ月。コーヒーのサプライチェーンに含まれる人権(侵害)に関するリサーチと、諸問題に対する具体的なプランづくり。調べものと報告が主だから、大学院でのリサーチの経験がだいぶ活きている。その分ストレッチはあまりない。だけどセールスとか専門外のことに足を突っ込みたいわけでもない。サステナビリティの領域で経験を積めているのはありがたい。オフィスでおいしいコーヒーが飲み放題なのはいい。同僚はいい人たちだ。やりがいを感じることもあるけど、スタートアップにつきものの混沌とした組織やコミュニケーションに辟易することも多々ある。残すところ3カ月。次のステップのために何をしたらいいかしら。

いちばんに仲よくしていた大学院の友人たちがわたしより少し遅れて卒業した。おめでたいと心から思う一方で、卒業を機に皆それぞれ別々の道を歩み始めることを少しさみしく思う。人生なんてそんなものだし、わたしだって自分の道を歩きはじめているんだけど。彼、彼女がすぐに会える距離にいなくなるということは、離れた場所によい友人をもつということでもある。それって心強いことではないか。彼らとのせっかくの縁をたやさずに、大切にしていきたいな。


さいきんパートナーと引っ越した。今度は期限付きじゃない、ほんとうの自分たちの家だ。この2年のあいだ、5カ月、10カ月、半年間とユトレヒトの北のあたりを引っ越し続けてきた身としては、ちょっと不思議な気分である。前の仮ぐらしの場所をピカピカにして、友人に手伝ってもらいながら引っ越して、IKEAやセカンドハンドで家具をそろえて、組み立てて、整理して。そういえば人生ではじめて大きな家具を買った。東京にいた時も含めて、いつも家具付きのシェアハウスで暮らしてきたから。

そんなわけで先月は出費がかさんだ。将来のことがすこし心配になる。将来といえば、正式にオランダ政府を通じてパートナービザを申請することについてさいきん話し合っている。ビザを通じて労働許可もおりるので、わたしにとっては仕事探しに有利になる。もちろんそれだけで決めるものじゃないけど。オランダでパートナーシップを結ぶことは、公的には結婚するのと同じことだ。なんだか、立ち止まるべき重要なことのような気がする。でも、自然な流れな気もする。とりあえず、申請に必要な書類あつめを始めることにしよう。


ふう。さいきんなんか、ぱっとしないのである。身の回りでは、めでたいことを含めて、けっこう色々なことが起きているのだけど。例えば、Staatsexamen Programma Iに合格したり(遅刻した筆記試験以外…)、地道に続けてきた論文執筆に一区切りついたり。

気分をあげるためにすべきことはわかっている。適度な運動とよい習慣である。早起きして、20分毎日運動して、10分瞑想したら、よりよい自分になれる。自分をもう少し好きになれる。

2年前こっちに来た時は、そんな「ルーティン」を日々こなしていた。かといって、自尊心を守れていたわけではないけど。むしろ、大学院で擦り切れた自尊心の回復のために、そんなルーティンを熱心に遂行していたのかもしれない。勤行みたいな。

とはいえ、今の芯がふにゃふにゃしたような自分がちょっと寂しい。以前はもっとストイックに学びを求め(本を読んだり、ポッドキャストを聴いたり―それが100%実になっているかは置いておいて)、朝はしゃっきり目覚め、毎日Youtubeといっしょに運動していたのに。

―しかしこう書き連ねていると、ふと思いいたる。昔の自分と今の自分を比較可能なものとして考えていること自体が誤りなのかもしれない。環境がちがうから、暮らし方や考え方もそれに応じて変わるのはふつうなのかも。なんかさ、そんな優しさをもって自分に接してやりたい。自分を責めることはない。だけど、運動とよい習慣が自分をよい方向に導いてくれるなら、やっぱり再開してみたらどうかしら。みたいな。

またやるか。


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