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Day 8. 人間は滅びた方がよいのか

毎日生態系や自然について勉強していると、ふと気が遠くなってくる時がある。人間が自然に与えている悪影響の甚大さに辟易するのである。
別に"Living in the Environment"の論調が人間活動に批判的というわけではない。だけど、急激に進む自然破壊の原因は人間によるものだという結論が自ずと明らかになるので、「はい、また人間のせいですねー」ってなんか諦めに似た気持ちになるのである。
そこで思い直す。これは感傷的になるためにやってることじゃないぞと。フラットな事実を知ることは、適度な責任感をもつための第一歩だ。

Chapter12: 食糧生産と地球環境

人間が食べる食糧の生産が地球環境にどう影響を与えているかというお話。

12.1 Why is good nutrition important?
12.2 How is food produced?
12.3 What are the environmental effects of industrialized food production?
12.4 How can we protect crops from pests more sustainably?
12.5 How can we produce food more sustainably?
12.6 How can we improve food security?

工業化された農業・畜産業は効率的な食糧生産を可能にし、多くの利益をもたらしてきました。一方で、他のどの人間活動よりも有害な環境影響が大きいとも言われています。例えば、生物多様性や豊かな土壌が失われたり、水や空気が汚染されたり、人間含め生物の健康を害したり。こうした環境影響が深刻化してしまうと、将来の食糧生産が制限される可能性さえあるといいます。

ますます増えていく人口に十分な食を行き渡らせるためには、大規模で効率的な農業・畜産業を営んでいくことが不可欠だ。でも、現時点ですでに自然資源はかなりダメージを受けてしまっている。どうしたらいいんだろうか。

問題はかんたんじゃないから問題だ

化学肥料が環境に良くないなら、一律で禁止したらいいじゃないか。
と思うかもしれないけど、そんなにシンプルなことではない。何事にも良い面と悪い面があって、そういう関係のことを「トレードオフ」という。
例えば化学肥料のトレードオフの例がこれだ。

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(出典: "Living in the environment", p304)
利点としては、食糧供給の拡大、利益の増大、仕事の効率化、適切な使用のもとでは安全 ということが挙げられる。
一方不利な点としては、遺伝耐性の促進、害虫の天敵、野生動物、人間に有害である可能性、大気・水・土壌汚染の危険性、農家にとって高価 といったことが並べられている。
利点も不利な点も、それぞれうなずける内容だ。それを踏まえた上で、うまいこと折衷案を考えて実験をしていかないといけない。「これをすれば全部解決!」っていう気持ちよさはないけど、課題解決っていうのは結局こういう地道なものなんだろうな。

より持続可能な食糧生産のために

章の最後に、解決策がわかりやすくまとまっていた。
もっとやるべきことと、もっと減らしていくべきこと。こうやって見ると簡単そうだけど、それぞれにトレードオフが付きまとっているし、それぞれの意見のうしろには政治的な力関係や利権も絡んでいるし、結構めんどくさい。

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(出典: "Living in the environment", p314)

ただ、問題とその解決策がある程度明らかになっているっていうのは救いだよね。

人間はいなくなった方がいいのか?

タイトルの問いに戻ろう。「究極的には、人間はいなくなった方がいいってこと?」。生態系とか生物多様性の大切さを訴えたり、人間活動のよろしくない側面について語ると、こんな問いを投げかけられることがある。

結論として、「いなくなった方がいい」生物なんて地球上にはそもそも存在し得ないのだと思う。というのは、今いる私たち含めた生物は何億年もの間環境への適応と進化を重ねた存在であって、誰かの意思のもと恣意的に生存操作されているわけではないと考えるからだ(いくつかの宗教とは合致しない考えだろう)。この説をもとにすれば、環境に適応できなくなった種はただ絶滅していくのみである。とすれば、人間が自分自身の住処を自らの手で狭める限り、絶滅の日が近くなるだけである。滅べるべきか否か、なんてセンチメンタルな議論をしている間もなく、適応しきれない生物は淘汰されていくのが自然の摂理というものなのだろう。

もしこの問いに私情をはさんで良ければ、わたしはこう答える。
「ええ。まだ生き残りたいですー。」
だって、自然や愛する人やものに囲まれて生きることの素晴らしさを知っているからだ。人間が生み出すものに心の底から感動するし、それらがずっと残っていけばいいなと願うからだ。

生き残りたいと願う人間たち

環境保護やサステナビリティの話は、人間に対するシニカルで批判的な姿勢というより、こうした生暖かいヒューマニズムな姿勢の延長線上にあるものだと思う。
だからこそ、だ。人間がその唯一の住処である地球環境を自ら壊していることに、自覚的でないといけない。事実を見つめる強さと、適切に手を打つ冷静さがないといけない。みんながみんな「意識高い系」である必要はないし、じっさい無理な話だ。だからアプローチの仕方はいろいろあって然るべきだ。
だけど、「生き残りたい」人間が自然環境の中でどう生き延びていくかを考えることは、すべての人にとってのリアルな課題なのだ。じつのところは。

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