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お手紙を出してきた話
6月29日。
どうしても行きたいところがあって、なぜか行かなきゃいけない気がして1泊多めに泊まって原宿へ。
くぅくんの追悼展に行ってきた。
NEEの大ファンじゃない。ファンクラブに入ってる訳でもない。
DINDONをラジオで知って好きになって、それと何曲か有名なやつを知ってるくらい。
でもたとえそれだけだとしても、くぅくんの訃報を知って息が詰まりそうになった。
4班の食事会のあと京都駅の屋上まで上って泣きながら歌詞を書いてた。
なんだか苦しくて悲しくてたまらなかった。
隼ちゃんの時と重ねてしまうのもあるけど。
夏のサイレンも気になっていたところで、YouTube配信が決まりアーカイブ含めて2回も見た。
メンバーのあたたかいくぅくんへの愛に心打たれ、悲しかったし、こうでなきゃ、と思った。
それから夕日くんのギターがかっこよくて、覚悟の決まった、でも悲しみのベールが被っているのがありありと見える夕日くんとかほちゃんと大輝くんがなんだか愛おしくて。
追悼展は私の東京に行く予定と被っていた。
行けてしまった。
隼ちゃんを失ったあの去年の、底がしれない悲しみをよく覚えている。
毎日泣いてたこと。
笑うことがあっても、嬉しいことがあっても根底の、心のホームポジションがずっと悲しい方向に振れ続けていたあの感覚も。
このまま治らなかったら適応障害になるんだよなぁとか、どこか他人事でそんなことまで考えていた。
だから、NEEのファンたちの苦しさはわかるつもりだ。
自分でどうすることも出来ない、ただただ悲しい事に打ちのめされるつらさを、わかるつもりだ。
だからこそ、「私が行っていいのかな?」と思って躊躇していた。
でも今朝、起きたら脳内に「スカートの中を覗く」が流れた。昨日聴いてないと思うんだけども。
あ、「来ていいよ」ってことか。なるほど、と思って予定通り原宿に来た。
苦しかった。
くぅくんに手紙を出せて、嬉しかったから。
sumikaと比べてしまう。
隼ちゃんもちゃんと追悼してほしかった。
手紙を送りたかった。
献花台が出ていて欲しかった。
なのに。
どうしてこんなにsumikaが大切なのだろうな。自分では分からない。人生を変えてくれたからか。
どうしてこんなにNEEに惹かれた(というかもう引かれてきた、が近い?)のだろう。これも分からないなぁ。
今までNEEのファンではなかったのに急にどうしたんだろう。
でもきっと来るべくしてここに今日来た。
なるべくしてこうなった。
私はどうして今NEEに出会ったんだろう。
何かすべきことがあるのかなぁ。
私がなにか別の形で引き継いだり、表現したり、心に何かを持って生きたりしていく為なのかな。
もちろん、偶然といえば偶然だ。なんでも。
でもやっぱり神様の思し召し要素はきっとあるから。
私どう生きたらいい?この出来事から何を学べばいい?どう還元すべき?
おこがましいけど、そうやって考える。
そして、私が彼(彼ら)の死に影響されて人生を変えるなら、良い方向に変えて行けるなら、その私の存在をもって彼らが存在し続けることになると思うのだ。忘れられた時が本当に死ぬ時、というのはこういう事なんじゃないかな。
だから、考える。
どうして?と考える。
たくさん音楽も頑張って、なんとか表現したいと思っている。
彼らが死なないように。
彼らが死にませんように。
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