固定概念を外して自由になる
数日前に見た夢の話…
私は誰のかはわからないけど、キリスト教のお葬式に参加していた。
周りと同じように座っていると知らない女性が「どうぞ」とパンフレットを渡してきた。
私は必要がないから「いらない」と告げて返すと、その人は「どうぞ」とまたそのパンフレットを渡そうとした。
でも絶対に自分には必要ないと感じたから私は再び「いりません」と伝えると、別の女性がきて、「あなた、お葬式でなんてことしているの!亡くなったのは私のお友達の旦那なの!友達がかわいそうだからパンフレットを受け取りなさい!!」と怒ってきて、私は頭にきたから「いらないのはいらない!!」と突き返した。
すると喪主である別の女性が私に「今日は無理言ってすみません。よろしくお願いします。」と頭を下げて私はピアノに向かって、先ほどの女性二人組を見るととてもバツの悪そうな顔している。
どうやら、私は喪主である女性にお願いをされてピアノの伴奏者として参加をしていて、女性たちが私に渡そうとしていたパンフレットは「賛美歌の歌詞」。私はピアノを引くから歌詞が書いてある紙はいらなくて、だから断っていたよう。そのことに理解できた瞬間に目が覚めた。
なにこれ?? 笑
でも実はこんなちょっと変わった夢にもメッセージが込められていて…
○○だから、○○しないと、○○はダメ、そういう勝手な決めつけは自分の世界を狭めたり、相手や物事を色眼鏡で見たりする原因となり、結果自分の成長や学び、自由になれるチャンスを奪い取ることなる。さらに自分の決めつけを誰かに押してつけると相手を傷つけることになったり、相手の成長や学び、自由になれる過程を邪魔することになる。
この夢からのメッセージをさらに紐解いていくと「固定概念を外すと自由になれる」。というとても深くて今、この時代に必要なメッセージを感じた。
私のイメージでは固定概念は「鎖」。人は誰もが自分自身や周りがつけた「鎖」に繋がれている。その「鎖」が付いている限りはある程度の距離しか移動ができない。でも自分に付いている鎖い気づいてそれを外した時には移動できる距離は無限になり、そう自由になれる。
まずは「鎖」に気づくこと。
それが出来れば後は「鎖」を外していくだけ。
こんなシンプルなプロセスを難しくしているのは自分自身だったり、社会だったりするんだけど、要は気づけが勝ったも同然ということ。
あなたにはいくつの「鎖」付いていますか?
気づいた時に外す行動をしていますか?
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