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山本五十六は英雄か戦犯か?

今日は終戦記念日。多くの命が失われた戦争を振り返り、亡くなった方々の冥福を祈るだけでなく、同じ過ちを犯さないために何が必要なのかを真剣に考える日である。

はじめに

真珠湾攻撃は、第二次世界大戦中の大きな転機となった出来事である。この攻撃は、日本海軍によって実行されたものであり、その中心的な役割を果たしたのが連合艦隊司令長官、山本五十六である。戦後生まれの多くの日本人にとって、山本は海軍のヒーローとして認識されている。彼の戦略的な思考やリーダーシップは、多くの人々に影響を与え、彼の名前は多くの戦時中の出来事とともに語り継がれている。

しかし、最近のYouTubeなどのSNS上では、山本五十六を「戦犯」と評する声も少なくない。彼の真珠湾攻撃がアメリカとの戦争の引き金となったこと、その結果として多くの命が失われたことを指摘する意見や、彼の戦略や判断を批判する声が上がっている。これは、時代や背景、そして受け取る情報や教育によって、山本やその他の歴史的人物の評価が変わることを示している。

これらの異なる視点や評価を目の当たりにすることは、歴史の事実をただ受け入れるだけでなく、それをどのように解釈するか、そしてどのように伝えていくかが重要であることを改めて感じさせられます。私たちは、過去の出来事や人物を一つの固定された評価で判断するのではなく、様々な視点や情報を基に、自らの判断や評価を形成していく必要があると思います。今日、終戦記念日に、多くの人々と共にこれらのことを考え、深く反省し、未来に生かしていくことができたらと願って、この記事を書くことにしました。

『英米合作経済抗戦力調査』と『対南方施策要綱』

歴史を深く理解するためには、当時の資料や文献に直接触れ、その内容をしっかりと読み解くことが欠かせません。特に、歴史的な出来事や判断の背後にある情報や意図を知るためには、当時の公式文書や研究論文を参照する必要がある。ここで紹介する『英米合作経済抗戦力調査』や『対南方施策要綱』は、そのような重要な資料の一部であり、これらに詳しくないと、真珠湾攻撃や日本の南方進出の真の意味や背景を完全には理解できないかもしれません。
『英米合作経済抗戦力調査』は、秋丸機関が発表した論文で、東京大学のサイトからPDFをダウンロードできる。この調査は、真珠湾攻撃の真意や背景を理解するための貴重な資料である。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/54030/files/01_makino.pdf
また、『対南方施策要綱』について深く触れておきたい。対南方施策要綱は、日本の陸軍・海軍両省及び外務省が共同で作成した公式文書である。1930年代後半からの日本の資源確保の必要性や国際的な状況を受け、1940年にこの要綱が策定されました。それは、日本の南方進出を推進するための基本方針を示しており、資源に富む東南アジアへの積極的な進出を前提としていました。この要綱の背後には、日本の経済圏の確立やアジアでの優越権を求めるという強い意志が存在していた。このような背景や目的、そして実行に当たっての課題や困難を詳しく知ることで、当時の日本の外交政策や戦略を理解することができます。

「連合艦隊司令長官 山本五十六」の映画を見た。

ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫さんのYouTubeで
山本五十六の解説動画があったので見てみました。

見ていてFODで見れるよって宣伝でした。
確かに昭和の映画なら戦争体験者も多くいて学べるものがあるかもと思い
300円で見れるアマゾンプライムビデオで
「連合艦隊司令長官 山本五十六」の映画を見た。

映画を通して、多くのことを感じた。
ここでは思ったこと3つを書いておきます。

  • まず、映画の中での海軍と陸軍の表現。海軍は白い軍服でかっこよく、陸軍は茶色の軍服で重苦しく描かれていた。このような表現は、映画やドラマにおける演出の一環としては理解できるが、実際の歴史における両軍の役割や評価を誤解する原因となることも。

  • 日独伊三国同盟を推進したのは陸軍であり、これが陸軍を"悪者"と見る原因となったのだろうか?

  • 情報戦での敗北。これは、戦争全体を通じて日本が直面した最大の課題の一つである。

山本五十六の評価

山本五十六の評価は、その視点や立場、そして受け取る情報や教育によって大きく異なるからだ。以下、様々な観点からの山本五十六の評価を掘り下げる。

戦略家しての山本五十六

山本五十六は、日本海軍の中でも先進的な戦略家として知られる。特に航空戦力の重要性をいち早く認識し、空母を中心とした艦隊の運用を推進した。真珠湾攻撃は彼の策略によるものであり、初めの戦局を有利に進める一因となった。この点では、戦略家としての彼の才能は確かなものと言える。

戦争推進者としての山本五十六

一方、彼の策略による真珠湾攻撃は、アメリカとの全面戦争の引き金となった。もちろん、この攻撃がアメリカとの戦争の唯一の原因ではないが、山本の戦略は大東亜戦争の推進者としての彼の一面も示している。

平和を求める山本五十六

しかし、それとは裏腹に、山本五十六は戦争の恐ろしさを理解しており、特にアメリカとの戦争を望んでいなかったとも伝えられている。彼は「米国との戦争は避けるべきだ」との考えを持っていたとされ、その背景には彼自身がアメリカを訪問した経験から、その経済力や産業力を直接目の当たりにしていたためだと言われる。

 一般の評価

映画やドラマなどのメディアにおいては、山本はしばしば英雄的に描かれることが多い。しかし、実際のところは、彼の行動や判断、そして彼を取り巻く状況を総合的に評価する必要がある。戦時下のリーダーとしての彼の判断は、その時代の背景や情報、そして国民の期待やプレッシャーなど、多くの要因が絡み合っている。

結論

「英雄か戦犯か?」という二項対立のフレームで山本五十六を評価するのは短絡的であると言える。彼の行動や判断は、その時代の背景や情報、さらには彼自身の信念や哲学に基づいている。歴史的事実をしっかりと学び、多角的な視点からの理解を深めることが必要である。このような複雑な背景を持つ歴史的人物や出来事を単純に評価するのではなく、深く理解するためには時代の背景や当時の状況を把握し、それをもとに判断することが必要である。

先の大戦から学ぶことは多い。

戦争がもたらした痛みや悲劇、そして人々の決断や選択は、私たち現代の人々にとっても大きな教訓を残している。

まず、戦争は本当に避けられなかったのか?という疑問が浮かぶ。当時の国際的な状況や資源の需要、そして政治的な意向など、多くの要因が絡み合って戦争への道を選んでいった。しかし、もしも異なる選択や対応がなされていたら、歴史は異なる方向へと進んでいたのではないかと考えられる。

例えば、対南方施策要綱をさらに推進して、東南アジアへの進出をさらに積極的に進めていたら、アメリカや他国との対立はどう変わっていたのだろうか?真珠湾攻撃でアメリカ軍の空母を沈没させていたら、戦局やアメリカの対日態度はどう変わっていたのか?

そして、ミッドウェー海戦。この戦いは太平洋戦争の大きな転機とされるが、もし日本が勝利していたら、戦争の結末や戦後の世界はどのように形成されていたのか。これらの「もしも」を考えることで、一つ一つの決断や選択が、大きな歴史の流れや未来をどれほど変え得るのかを実感することができる。

日常生活に目を向けると、私たちも様々な選択や判断を迫られることがある。大きな選択であるか小さなものであるか、それぞれの選択が私たちの未来や人生の方向性を形成していく。大戦の教訓は、選択の重要性やその結果の意義を私たちに教えてくれる。そして、その選択をする際には、歴史の教訓を忘れずに、より良い未来を築くための賢明な判断を下していくべきだと感じる。

最後に

私たちが歴史を学ぶ目的は、ただ過去を知るだけではない。それは、未来をより良くするための手がかりを見つけるためである。歴史は変わらない。過去の出来事や決断はすでに固定されており、それを変えることはできない。だからこそ、受け入れ、正確に理解し、その上で今と未来を形づくる必要がある。そのため、大学や歴史学者が集まり、子供たちに正確で客観的な歴史を伝える教材を作成することは、非常に重要な使命であると感じる。このような努力を通じて、歴史の真実を知ることで、次世代が過去の過ちを繰り返さないようにし、より明るい未来を築く手助けをすることができる。

終戦記念日は、悲しみや反省を通じて、過去の出来事を深く思い返す時間である。しかし、それだけでなく、未来に向けての希望や誓いを新たにする機会でもある。私たちは過去を知り、教訓を得ることで、次世代に対する責任を果たし、より良い未来を追求する力となるのだと信じている。

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