見出し画像

母の日の憂鬱

「お母さん、やっぱりカーネーションがないとさみしいわ」

お小遣いをもって自転車でちょっと遠い花屋さんへ行って、小学生にはちょっと高額な、みたことのない青い花の鉢植えを母の日に買った。歩道の段差がひどくて鉢植えが自転車の籠から舞い上がっては落ち、きれいな紙に包まれた鉢植えから土がこぼれてしまった。母は花が好きだからきっと喜ぶと自信満々で買った日、母が欲しかったのはカーネーションだった。

 お母さんを亡くした子供は白いカーネーションを母の日に送るんだそうで、私も例にもれず、4年間母に白いカーネーションを買い続けた。白いカーネーションが買えるのは、坂の上の花屋と、遠くの大きなホームセンターの花屋と…。坂の上の花屋は早くいかないと白いカーネーションを買い占める人がいるからと白いカーネーションに拘って、毎年探し回った。包んでもらっている間、風船やプードルや熊の赤いカーネーションの造花とあらかじめかわいく包装された赤いカーネーションが人の手に渡っていくのを見ていると、なんだか自分だけが居残りをさせられているような気持ちになるのだ。白いカーネーションのために待たされる私。母が死んだ子のための白いカーネーション。これは何の罰だろう。もう赤いカーネーションでいいじゃないかと、今年からはカーネーションは赤にすることにした。私のお母さんはもう生きていないのだと思うだけの母の日になってしまうような気がして、結構しんどい。お母さんはいいな、ほとんど自分が死ぬ前まで自分のお母さんに赤いカーネーションを送り続けることができて。
 

 子供が幼稚園に通いだし、今年初めて母の日に子供から手作りのカードをもらった。カードには真っ赤なカーネーション。私もカーネーションが欲しいと思うようになるんだろうか。母の日のイベント、母の日のタグ、母の日の文字と毎年どうやって折り合いをつけていけばいいのか、戸惑っていたけど、そうか私にも母の日はやってくるのだ。まだくすぐったいような、なんだか複雑な気持ちだけど、それでも素直にうれしい。「おじいちゃんおばあちゃん、お花だよ!」とタンポポやつつじなんかを毎日とっては仏壇に供えてくれるわが子。こんなことが私の心を時折穏やかにしてくれる。

また来年の母の日まで、カーネーションのことは忘れられるけど、私もうちの子みたいに、無邪気に花を供えられるようになっていたいな。もしかすると母は、私の赤いカーネーションより子供の備えるタンポポやツツジのほうが嬉しいのかもしれないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?