- 運営しているクリエイター
2020年7月の記事一覧
181130 まやかしの決意
追記(200722)
削除記事の再掲、十二本目。
これで最後。思ってたより数が多くて、さすがに疲れたな…
全部を復元させたわけではなく、気持ちの上で残しておこうと思ったものを中心に書き直した。約2年前から変わったこと、変わっていないこと、どちらもある。全体を通して思ったのは、「自分は年を取るほど生きやすくなるタイプの人間ではないか」説は、どうやら信用できそうだということ。もしも老齢になるまで生き
181119 サイクルの幻想
追記(200722)
削除記事の再掲(一部訂正済み)、十本目。
自己認識やアイデンティティ、人生の「物語性」という視点は、今もこれからも私にとって重要な意味を持ち続けると思う。私は普段、「現実を虚構になぞらえて書く」ような言葉づかいを、半ば意図的に取り入れている。それは、今見えている「現実」が一つのストーリーに過ぎず、常に反転(書き換え、改訂)可能であることを自らに言い聞かせ、そのストーリー性を
181013 「バナナ」は英語で何というのか
追記(200722)
削除記事の再掲(一部訂正済み)、九つ目。
タイトルを見て「何これ…?」となる程度には、書いたことをすっかり忘れていた。書くことで重い荷物として抱え込んでいた執着を手放せたんだろう。追記にある「成仏」は間違っていなかった。
母(猪突猛進、超行動的)と私(熟考熟慮、超慎重)は性格が正反対だったので、子どもの頃は「なんでわかってくれないの…(泣きながら怒る)」みたいによくなって
181003 二面性と共に生きる
追記(200720)
削除記事の再掲(一部訂正済み)、七つ目。
今も動物が暴れることはあるけど、その様子を見守れるようになっただけでも大きな進歩と言えるんじゃないかな。何より狼が鳴りを潜めつつあることが、とてもうれしい。
それから、見方を変えればこれは「おうた大好き!脳内お花畑な女児に徹底した近代教育(均質的・紋切り型・詰め込み式)を施すと、末路はこうなりますよ」という一つのサンプルではないか、
180926 個人に対する「建設的な批判」は存在しうるのか
追記(200719)
削除記事の再掲、六つ目。
恐らくここで言おうとしていたこと↓
(辞書定義)①の意味の「批判」を行うには、ものすごく高度な技術を要するのではないか。それを成すには、(批判の応酬相手との間での)前提知識の共有、健全な「批判」のあり方を学ぶための訓練、鍛え抜かれた理性などが求められる。一部の学術研究機関など、語られることの「正しさ」に対する要求レベルが高い領域では、①の「批判」を
180910 息継ぎの方法を学ぶために
追記(200717)
削除記事の再掲、五つ目。
悲壮感と希望がないまぜになっている。これを書いた頃と現在とを比べて自分が置かれている状況は、はっきり言って大して変わっていない。変わったことがあるとすれば、それは「自分の境遇を捉える(思考の)枠組み」だと思う。(200716 〈TEDメモ〉ロリー・サザーランド: 物事をどのように見るかがすべて)
状況を見る目を変えることができれば、表面的には代わり
180809 「できること」と「できないこと」
追記(200716)
削除記事の再掲(一部訂正済み)、四つ目。
歯切れの悪い文章だけど基本的に考えていることは変わっていないし、以前も今も、私は同じようなことばかり書いている。一種の「おまじない」というか、何度も書いて自分に言い聞かせてるんだろうな。今「できること」に対して最善を尽くし、少しずつその範囲を拡げていった結果として、「できないこと」を減らしたりその弊害を補ったりする。それが私にとっての
180731 「思い」は決して、伝わらない
追記(200714)
削除した記事の書き直し、二つ目。
---------------------
私の「喜び」も「悲しみ」も、他者には決して伝わらない。
他者の「喜び」も「悲しみ」も、私は決して理解できない。
コミュニケーションの起点は常にここにあると思う。
平田オリザ(2012)『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)講談社という本がある。はじめてこ
180728 「正論」に関する、ある主張
追記(200713)
noteって削除済みの自分の記事を読めるんだ。知らなかった。私のように衝動的破壊行動に出る人間にとっては、ありがたいことだ。2018年に書いたものはすべて削除してしまった。当時書いた内容の如何はともかくとして、破壊癖を克服するための訓練のつもりで、少しずつ再掲していこうと思う。(最近の心境的には、既に克服できた気もする。)
以下、ある原理主義者曰く。
----------
200712 カオスの供養
「信義に殉ずるなどという発想は、愚かで悪趣味だ。君が鍛えなければならないものは明白だ、つまり実行力だよ。単純極まりないことをむやみやたらと難しく考えたがるのは、君の悪い癖だ。真の前進を望むのであれば、潔くこの事実を認めることだね」
----------------------------
私は「苦しい」って言うし、「苦しい」って思いやすいかもしれないけど、自分の人生が苦しみそのものだとは、全然
200710 「認知特性」に関して考えたこと
追記(210629)
今読むと色々と書き方に問題があると感じる。何より、概念を正確に理解する前にテストだけ受けて我流で連想を広げてしまっているのが良くない。削除したいところだけど、反省を促すために記録用で残しておく。発信は難しい。
-------
定期的に「認知特性」に関する情報が目に入るので、先日実際にテストを受けてみた。ここでは、「認知特性」の大まかな理解とテスト結果から考えたことについて
200709 書くことに対する心境の変化について
1.書くことのできる喜び書くことをためらわず、恐れなく書けるということが、ただただ嬉しい。私は一体どれだけの時間を、どうしても自分の言葉が出てこないという無力と共に過ごしてきただろう。
今書けるようになったからと言って、何も別に大したことを書いているわけではない。単純に、日々その時々の気持ちを言葉にのせて外に放てるようになった、ただそれだけのことである。「たったそれだけ」のことが、私にとってどれ
200704 お返事
あなたがおっしゃったことについて考えてみました。
たしかに私の「過程」に対するこだわりは、独りよがりなものだったかもしれません。「結果」がすべてではないという思いに変わりはありませんが、だからといって「結果」を軽んじ、疎かにするつもりはありません。言うなれば、あなたの考えと私のそれとを隔てているのは、何を「結果」と捉えるか、その定義と尺度の問題なのです。
あなたが叩き出す数々の「結果」は、私に