神話、その考察と虚構の永眠

神話と云うものはそもそもがなんなのであろうか。

私は特に何かの伝統的な宗教を信じているという訳では特に無いのだが、ただ無神論者と云われてもちょっと違う様な気がする。強いて言えば、『神は人々の心の中にいると云う考え方』が一番近いだろうか。信仰は各々の心の中にあるからこそ認知される。信仰は心象的なイメージであるために、その元になるものが必要となる。それがまず周囲の環境なのではないか。そうして自然崇拝としてまず信仰は認知されるのだが、その際に朧気なイメージのままであると認識しにくいので、その為に後々にそれが擬人化された形に変化していった、それが神という存在の始まりなのではないか。

2019年3月25日、慶應義塾大学環境情報学部、オックスフォード大学、コネチカット大学の共同チームはセシャット(Seshat)と呼ばれる400カ国20万件以上のデータベースの解析で、神への信仰は社会的複雑性が進化した後に生み出されたという可能性がある事を発表した。
https://andla.jp/wp/?p=10756

神話という存在は、結果として高度な社会が生み出した虚構であるとも考えられるが、ただ人々は虚構をただそうと知りつつ、そのまま信仰するという事は難しいのではないだろうか。現代に置いては伝統的な宗教の神話自体をその様な虚構として捉えている人も多いのかも知れないが、彼等がそれでその神話体系に対する深い帰依を持てるかというとそんな事は無いだろう。虚構と分かればそれはただ虚ろなものとしてしか認識され得ないであろう。

その様な神は死んでいるも同然の存在である。故に神話が起こった当時はそれに実存性を与える根拠があったと考えるのが自然なのではないか。

神にはそれを形作るためのモデルがいて、それは実在した人間であったのではないかと考える。特にその人間の知名度が高ければ高いほど、実際にそれを見ないままそれを偶像化していくという仮定が起こり得るのではないと。

人々はその人のイメージを心の中で肥大化させていく仮定の中でそれが神格化(神聖化も悪魔化もベクトルが異なるだけで両方とも神格化そのものである)されていくなかで神という存在が生まれたのではないかと。

実際に歴史の中で影響力の高い人間が神格化されるという事例は散見される。例えば太宰府天満宮に菅原道真公が天神さまとして祀られているが学業の神様としても有名なので受験期にお参りにいかれた方を多くいらっしゃるかと思う。

菅原道真公が、学問の神様として祀られてるに至った経緯はわずか5歳で和歌を詠み『神童』とも称されたところからきている。その後、武芸も覚え、弓などは百発百中の腕と持て囃されれたところから文武両道で名を馳せた。

後に、讃岐国の長官として赴任。当時疲弊しきっていた讃岐を立て直し、民からの厚い信頼を受けるに至った。その功績もあり宇多天皇に重用されるようになったとか。

894年、唐の国情不安と衰退を理由に遣唐使を廃止。
これが、後に『国風文化』と呼ばれる平安時代独特の様式を生み出す事となった。(この時に生み出されたのが十二単などの服装や、かな文字など)
その後にその文武両道の才覚を買われ低かった身分からは考えられない程に破格の待遇である右大臣へと昇進、しかし左大臣・藤原時平の策略により、濡れ衣を着せられて901年、家族とも別れの挨拶すら許さず、何の支援も与えられぬまま九州の太宰府へと左遷させられてられ、現地では廃屋同然の部屋で軟禁状態のまま、903年2月25日、菅原道真は59歳にて無念の死を遂げた。

死後、菅原道真が無実であった事は分かったものの、その後に都では疫病や飢饉が発生、道真を謀殺した張本人である藤原時平やその周囲も畳み掛けるように亡くなった事から、それを朝廷は『道真の祟り』として恐れ、道真公が眠る安楽寺に919年『安楽寺天満宮』(後の太宰府天満宮)を建立し供養する事となった経緯がある。

この辺も特に亡くなった後にその人物のイメージが更に肥大化し神格化するに至った典型的な実例ではないかと。他にも古代エジプトにおけるファラオたちや、道教における関羽の神格化(この辺は横浜中華街にも関帝廟があるので馴染みが有る方も多いであろう)など枚挙に暇がない。

故に私がここまでで展開してきた主張には歴史上の事例をさらっと俯瞰するだけでも一定の妥当性は担保できているのではと私は考えるのであるが、そこまで言い切るのはまだ早計であろうか。今後もこの辺は更に煮詰める余地があるかもしれない。

ところでこの話の中で特に強調しておきたい所が一つある。

それは、先の事例でも垣間見えるが、特定の人物に対するイメージの肥大化は特に死後急激に進み、そのまま強大な神格化に至るという例もこれまた多いという事である。

それは遠い歴史上の人物だけでなく、ごく近い近世、或いは現代に置いても時折起こり得ることで、我々の周りでも、その世情において感情のノイズに振り回された者たちがあらゆる者を悪魔化を超えて、もはや魔王化と言っても良いほどのイメージの変革をその故人にもたらす。

共同体の強固な糊代となる神話の形成、その元となる神格化という現象は大いなる弊害を生むという側面もある。それは本来は鼠であるものを獅子の様に捉えてしまう事によってその巨大な幻影によって包み隠されてしまうものがあるからだ。

それは、本来そこで起こっていた恩恵・弊害を起こしているであろうシステム全体そのものである。神格化された事象は本来、それがシステムを構成する諸要素の一つに過ぎないという事実から、それを信仰するものの目を遠ざける。物事は何か一つの要素で単純化出来るものではなく、一つの要素が複数の要素と絡み合い、それぞれが複雑に相互作用をもたらしている。しかも数々の不確実性を孕みつつ、白黒ハッキリ分けられずグラデーションの様に為っている。

それは到底、一人の人間の浅はかな知識や理性だけでは理解出来るものではなく、決まった処方箋などは出せないのかもしれない。ただ巨大化した魔の眷属たちに覆い尽くされたままでは、其れ等を直視する事すらままならない。いや、そもそも直視などしたくないからこそ、その様な虚構を仕立て上げてでも不都合な現実から目を逸らそうとしているという彼等の脆弱な、もっと言ってしまえば幼い心性の顕現そのものではないかとすら思う。

神格化というものは心の拠り所として生まれたものであるが、どの様に寄り掛かるかというその選択はそれを作り出した者の願望がそのまま投影される。彼等は意識的なのか、あるいは無意識にそうであるのかは分からないが
逃避として信仰を利用しているのだ。

彼等にそれを問いかけても無駄なのかもしれない。私も偉そうな事を言えるほど大人の態度を取れている訳でもないのかもしれない。しかし、それでも大人の真似事だけでもやり遂げようと考える者の覚悟として強調しておきたい事がある。

君たちの抱えているその魔王、邪神、神々たちをどうか等身大の人間に戻して欲しい。彼が人間として生きていたのならば世界への数々の繋がりというものを必ず持っているはずだ。己に取って都合のいい部分だけを拾おうとするのではなくて繋がっているものを出来るだけ広く丹念に手繰り寄せて欲しい。

いや、それを人間に戻す為に必要な手順は、人間というものの理解そのものが必要だろう。それには自分にとって居心地のいい狭い仲間だけでなく、職場(或いは学生であれば学校か)、家族、行きつけの居酒屋、近所のご年配の老夫婦、それこそ色々な人間の繋がりからそれを改めて学び直す必要性がある人も居るだろう。

一朝一夕にはいかないかもしれない。事実、私もそう簡単にはいかなかった。今でもまだまだ足りないかもしれない。それでも、それでも尚、私達はそれを求めて学ばなければならない。

そうして、いつか其れに足るものを得られたとしたら

その時が故人が永遠の眠りに付く時であると。


(8月21日追記:実はこの記事、1年近く前に書いたのをそのまま放置してたものではある。もう少し細部を直した方がええのかもしれないが取り敢えず公開状態に持っていこうと思ったものである)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?