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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#32 鈴木健編

鈴木 健(すずき・けん)

内野手 右投げ・左打ち 1970年1月13日生まれ
ライオンズ在籍:1988~2002年
通算成績:1686試合    5201打数 1446安打 打率.278   189本塁打   797打点
背番号:8(88~02年)

86年夏、浦和学院高が初めて甲子園に出場したときの2年生4番打者。3年夏の甲子園では、エース伊良部秀輝を擁する香川・尽誠学園に敗れたものの、高校通算83本塁打は当時の最多記録だった。

87年のドラフト1位でライオンズに入団。浦和学院出身のプロ野球選手第1号であり、球団が埼玉に移転してから初めて1位指名した埼玉出身選手になる。

1年目はアメリカへ野球留学。イースタン・リーグでは8試合にしか出場していないが、29打数8安打1本塁打6打点の成績を残している。プロ3年目の90年から2年連続でイースタンの首位打者に。特に91年は打率.401、イースタン史上2人目の4割打者になっていながら、清原和博、辻󠄀発彦、石毛宏典、田辺徳雄、デストラーデと、内野もDHも不動のレギュラーがそろっている1軍の壁は厚く、鈴木の入る隙は見つからなかった。

それでも腐らず、自分の生きる道を模索。”天才的”と言われたバットコントロールに磨きをかけると、92年には代打で39打数14安打3本塁打。ヤクルトスワローズとの日本シリーズ第6戦でも、6回表に代打で一時逆転となる3ランを放って、1軍に不可欠な戦力となっていく。

デストラーデの退団、それに代わる新外国人選手の不振などで、93年からはスタメン出場が増加。この年の日本シリーズでも第5戦に代打満塁ホームラン。94年には規定打席不足ながら、打率.350をマークする。 

東尾修監督が就任した95年、石毛のFA移籍で空いた三塁のポジションに定着。プロ8年目で初めてシーズン規定打席に到達する。96年には打率.302、21本塁打。清原が読売ジャイアンツにFA移籍した97年には、開幕から4番で起用される。

「初めはすごくプレッシャーがありました。ホームランもなかなか出なくて、随分悩みました。でも、自分には自分だけのやり方があるはず。ホームランにこだわらず、打線のつながりを考えてランナーを還すことを一番に考える。そんな新しい4番を目指そうと開き直ったら、結局長打も出るようになった」(98年 西武ライオンズファンブック)

シーズン135試合中127試合で4番を任された鈴木は、打率.312、19本塁打、94打点。5月にはパ・リーグタイ記録となる11試合連続打点をあげるなど、得点圏打率はリーグ1位の.373。加えて90四球を選び、出塁率もリーグトップの.431。チャンスに強く、自分でもチャンスをつくる4番打者として、チームを引っ張った。この年のチーム打率.281は、ライオンズの球団史上最高となっている。

10月3日、優勝マジック1で迎えた福岡ダイエーホークス戦では、10回裏に右中間へサヨナラアーチ。3年ぶりのリーグ優勝を決める劇的な一打となった。

成績が下降した時期、若手の突き上げもあるなか、当時の佐々木恭介コーチの勧めで、日本プロゴルフ界の第一人者“ジャンボ”こと、尾崎将司のオフの自主トレに参加する。そこで学んだトレーニング方法や心の持ち方などが、その後の野球人生に大きく影響したという

02年、伊原春樹監督のもとチームがリーグ優勝するなか、シーズン途中にファーム落ち。入団2年目の中島裕之(現・宏之)、高卒新人の中村剛也、栗山巧らと一緒に、真夏の西武第2球場で汗を流す。

この年1軍では65試合の出場にとどまり、オフには15年間プレーしたライオンズを自由契約になるのだが、阪神タイガースとのファーム日本選手権に、4番サードで先発出場。初回に先制2ランを打って、意地と健在ぶりをアピールした。

翌年、金銭トレードで移籍したスワローズでは、岩村明憲の故障もあり、5番サードのレギュラーに。シーズン打率.317、自己最多となる153安打を放ち、セ・リーグのカムバック賞を受賞する。

スワローズで5年間プレーしたのち、腰痛やヒザの故障もあって引退を決意する。07年10月4日、神宮球場での横浜ベイスターズ戦、8回裏に代打で迎えた最後の打席。横山道哉・相川亮二のバッテリーは、敬意を表して全球直球勝負するのだが、なかなか打球が前に飛ばず。打席から思わず「ごめん」と、マウンドの横山に声を掛ける。

13球目、三塁フェンス際への小飛球は、サードの村田修一が捕球しない。そんな球場全体のアシストのなか、ようやく捉えた15球目は、鋭いライナーでセンター前へ。通算1446本目のヒットで、20年間のプロ野球生活を締めくくった。

鈴木 健 年度別成績

主なタイトルなど
 最高出塁率(97年)
 ベストナイン 2回(97、03年)
 オールスター出場 3回(97、98、03年)

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