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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#12 広橋公寿編

3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」。新たな参加選手も発表されて、ますます当日が待ち遠しくなりました。

このページでは、出場が予定されているライオンズOBたちの、一味違った現役時代のエピソードや、玄人好みする記録などを紹介していきます。

広橋 公寿(ひろはし・こうじゅ) 

内野手・外野手 右投げ・右打ち 1957年1月11日生まれ
ライオンズ在籍:81~89年(選手)、95~06年(コーチ)
通算成績:569試合 951打数 258安打 打率.271 14本塁打 96打点 32盗塁
背番号:30(81~89年)、85(95~06年)

八幡大学(現・九州国際大学)までは投手だったが、社会人野球の東芝で野手に転向。80年ドラフト外でライオンズ入りする。この年のドラフト会議は各球団指名できたのが4人まで。

チームの世代交代を加速するべく、若い即戦力を必要としていたライオンズは、石毛宏典、岡村隆則、杉本正と、ドラフト上位3位まで社会人を指名したほか、ドラフト外で大量10選手を獲得。そのひとりが広橋だった。

東芝時代は、社会人の関東リーグ戦で首位打者に輝いた俊足の三塁手。ドラフト組の石毛、岡村に引けを取らない実績の持ち主で、1年目から開幕1軍入り。石毛がケガで離脱している期間は、1番スタメンで起用された。メガネ姿がトレードマークだった。

「左殺し」と呼ばれたほど、左投手をめっぽう得意としており、開幕7試合目に放ったプロ初ホームランは、あの300勝サウスポー、近鉄バファローズのエース鈴木啓示からの逆転3ランだった。

以来、ライオンズ在籍期間中に、通算13本塁打しているのだが、そのうち10本が左投手から打ったもの。ロッテオリオンズの水谷則博、日本ハムファイターズの間柴茂有、近鉄の村田辰美などを得意としており、彼らが先発してくるときは、同じく左投手を得意としていた西岡良洋らと、スタメン起用されることが多かった。

本数こそ少ないが、このプロ1号を打った試合から、広橋がホームランを打った試合で、チームは8年間掛かりで10連勝(1分)。そんな「勝ち運」の持ち主でもあった。

当然、右の「代打の切り札」的存在でもあり、87年には代打で21打数8安打(打率.381)8打点をマークした。この年8月26日の南海ホークス戦では、8回表2死満塁のチャンスに代打で登場。サウスポー西川佳明から走者一掃の逆転ツーベースを放って、チームに勝利をもたらした。

じつはこの試合、ホークスの4番・門田博光が通算2000安打の大記録を達成した記念の一戦。球場内の祝福ムードを、一振りでかき消してしまったのだった。

90年、2対2の交換トレードで、中日ドラゴンズへ移籍(ライオンズ広橋、小川宗直と、ドラゴンズ大宮龍男、宮下昌己との交換)。さらに田淵幸一監督率いる福岡ダイエーホークスで、それぞれ1年ずつプレーして、現役を引退。

東尾修監督が就任した95年に、コーチとしてライオンズに復帰。2003年までの9年間、2軍の守備・走塁コーチや1軍打撃コーチなどを担当した。

02年オフに長女のまどかさんが、当時近鉄の若きエースだった岩隈久志と結婚したことでも、話題を集めた。現在は、その岩隈が22年5月に創設して会長を務める、中学生年代の硬式野球チーム「青山東京ボーイズ」の監督として、子どもたちに野球の魅力と楽しさを伝えている。

広橋 公寿 年度別成績

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