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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#20 大石友好編

3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」まで、残り1ヶ月あまりとなりました。ここでは出場予定のライオンズOBたちの、一味違ったプロフィールを紹介していきます。

大石 友好/友宜(おおいし・ともよし) 

捕手 右投げ・右打ち 1954年1月15日生まれ
ライオンズ在籍:80~84年(選手)
        95~97年、99~01年、09~10年(コーチ・2軍監督)
通算成績:683試合出場  1241打数 256安打 打率.206  12本塁打  111打点
背番号:41(80~81年)、9(82~84年)
    76(95~97、99~01年)、84(09~10年)

ライオンズOBでもあるプロゴルファーの“ジャンボ”尾崎将司の母校で知られる、徳島の海南高(現・海部高)出身。その尾崎の弟で、やはりプロゴルファーの“ジェット”健夫が同級生で、野球部でバッテリーを組んでいた。

神奈川大を卒業後、河合楽器に入社。入社4年目の79年には大昭和製紙に補強され、都市対抗野球に出場。プロ入り後にライオンズとドラゴンズでチームメイトになる杉本正とバッテリーを組む。 

この大会の1回戦では、辻󠄀発彦と駒崎幸一のいた日本通運と対戦。のちのレオ戦士4人が一堂に介した一戦は、延長12回3対3の引き分けとなる熱戦に。翌日に行われた再試合で、杉本-大石のバッテリーは日通打線を3安打に抑え、シャットアウト勝利した。

この大会では準々決勝までの再試合を含めた5試合で、10度の盗塁を企図されたが、9度阻止する強肩ぶりみせている。
 
埼玉移転1年目だった79年のライオンズで、最も多くの56試合で先発起用されたキャッチャーが、44歳の野村克也。田淵幸一の捕手での先発は23試合だけで、指名打者か一塁での起用のほうがメインになっていた。

そのほか西沢正次、奥宮種男、楠城徹といった捕手陣もそろって30歳前後。前年オフにレギュラーだった若菜嘉晴を、阪神タイガースに移籍放出していたこともあり、若手捕手の台頭が望まれていた。そこでドラフト3位で獲得したのが25歳の大石だった。

その強肩と練習中から常に大きな声を出す姿勢が首脳陣の目に留まり、大石は新人ながら開幕スタメンを任される。

この年は、登録を外野手から捕手に戻していた2歳年下の吉本博とスタメン出場を分け合ったが、入団2年目の81年にはレギュラーの座を奪取。監督推薦でオールスターにも初出場する。
 
とりわけエース東尾修から寄せられる信頼は厚く、82年に南海ホークスからベテランの黒田正宏が移籍してきてからも、東尾が先発する試合の多くは、大石がマスクをかぶっていた。

それこそ阿吽の呼吸で、バッテリー間のサイン交換なし、ノーサインで配球を組み立てたこともあった。なんでも大石からの返球を、東尾が捕球するときのグラブの位置で、次に投げるコースを決めていたのだとか。

82年日本シリーズ第6戦の9回裏、中日ドラゴンズ最後のバッター大島康徳を空振り三振に仕留め、西武ライオンズになってから初の日本一が決まった瞬間、バッテリーを組んでいたのが東尾と大石だった。自身の野球人生を振り返り、最も印象に残る場面を聞かれた東尾は、この日本一が決まって「駆け寄ってくる大石と抱き合った瞬間」だと答えている。

後輩の伊東勤の成長により、出場機会が減っていくなか、85年のキャンプイン直前、大石と杉本を交換要員とした、中日ドラゴンズ田尾安志との2対1の交換トレードが成立する。

移籍後はリリーフエース郭源治の登板に合わせて起用される「抑えの捕手」などの、与えられた役割を全う。91年に引退したあとは、ドラゴンズでバッテリーコーチを務めていた。

95年、ライオンズ新監督に就任した東尾修に誘われ、1軍バッテリーコーチに就任。12年ぶりの古巣復帰となった。渡辺久信監督時代にも1軍チーフコーチなどを担当している。

今回の「LEGEND GAME」では、東尾とバッテリーを組んでの、久々のノーサイン投法(サイン交換する必要もないのかもしれないが…)が見られるのか。楽しみにしたい。

大石友好 年度別成績

主なタイトルなど
 オールスター出場(81年)

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