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ライオンズファンになったきっかけ

初めてまして、とりぷるです。この度大学卒業を機に、私もブログを始めてみましたが、自分を知らない人が大半だと思うので、まずは自己紹介から。

私は神奈川に住む大学四年生で、4月から就職する。ごく普通の大学生...


と言えるような大学四年間は絶対に送ってない自信がある。

私の趣味はプロ野球観戦なのだが、好きな球団は西武ライオンズである。よく友達に言われていたのが、

「なんで横浜ファンじゃないの?」


これは自分でも不思議に思う。時々「ライオンズを応援してなにが悪い」と思うこともあるが、大半はこの思考である。

まして父親は野球嫌いで、母親も祖父母の影響で野球ファンではあるが、現役時代の原辰徳が大好きな巨人ファンである(今はそこまで野球を見ていない)。

元々、小学四年の時に野球好きだった友達に紹介してもらって野球を始めたのだが、自分の中では

「プロ野球の試合を見ることも勉強のひとつではないのか」

と思いまずは朝のスポーツニュースで、プロ野球の試合のハイライトを漠然と見ていた。スポーツニュースでは前日に活躍した選手の名前が取り上げられることが大半だがその中に

「G.G.佐藤 復帰初戦で活躍」


G.G.佐藤!?当時小学四年の自分の中でも衝撃を受けた名前だ。もちろん野球を見ていなくてもイチローは知っていたが、今思えばプロ野球選手で初めて名前を覚えたのはG.G.佐藤だったかもしれない。何故かそこからライオンズの結果を毎日欠かさず見るようになったのだが、初めてテレビでライオンズの試合を見たのは、2008年の日本シリーズである。その試合で目にしたのは...

片岡易之の伝説的な走塁、栗山巧の勝利に対する献身的な姿勢、ナカジこと中島裕之の打撃とリーダーシップ、おかわりくんこと中村剛也の美しい放物線。


今でも片栗中中と言われるこの4人のプレースタイルは自分の中でも原点であり、頂点だと思っている。

初めて現地で野球を見たのは2009年5月30日の西武VS巨人。先発は帆足と内海。目の前でナカジと平尾がホームランを打ってくれた。それ以来2012年までナカジのファンだったが、それ以降は同じ神奈川出身の秋山翔吾の守備と打撃に一目惚れして、2019年まで応援し続けた。

小中と6年間野球を続けてたので、現地に行く機会はほとんど無かったが、高校くらいから細々と現地に行き始めて、年50試合以上行くようになったのは大学生の時からである。


大変長くなってしまったので、ここら辺で一旦区切らせてもらうことにする。大学生以降の話はまた次の記事にでも書くことにする。




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