ペット ロス

ずいぶんペットというと違和感を感じてしまうのは偽善者の要素が人にはあるからだろうか。

幼少期にはもう犬がいた。その頃家族はプレハブ小屋に住んでいた。奥行きは広く、離れに雀荘を父がまたプレハブ小屋を建てて朝から晩まで仲間と賭け麻雀をして呑んだくれて母親がボウルいっぱいの塩水を飲ませて復活したとか、作業場の中に住居があったのも子供にとっては楽しかった。父は職人だ。おそらく自分が知る中で一番の腕で自慢である。そんなパチンコ玉を一緒に拾ってバブル崩壊の暗い時期を家族で暗く過ごしてそれでもなおありがたいことに新築実家を建てた父の力には恐れ多い。しかし新築での生活は慣れずに私は昔の埃臭いガラス戸の割れたおかクズだらけの作業場にトラックのタイヤに乗って遊べる家にいたことが懐かしかった。

家にはいつも犬がいた。犬は迷い犬かもらい犬。芝の雑種か何かだろうとりあえず雑種だ。みんな可愛かった。ぽこぽこ子供も生んでしまうので困った。しかしその時は気のいい仲間たちに貰ってもらえて、幸せに過ごしたと願っている。一匹、忘れられないお姉ちゃんのような犬がいる。その犬は迷い犬で野良だ。よく神社の境内で寝ていた。ある日母がミルクをやったら居ついてしまった。しかし毛並みも良くどこかのオスのうちに遊びに行っては餌をご馳走してもらっていたようだ。

一度遠く橋をわたったパチンコ屋に捨ててきたことがあるらしかった。けれど私の誕生日に戻ってきたのである。奇跡的だ。橋を渡ったら犬は帰ってこれないというけれどそんなことはない。
親が共働きで鍵っ子だった私には犬がお姉ちゃんだった。一緒にご飯を食べ、両親やすでに父と働いている兄が帰ってくるまでコタツで同じポーズで寝ていたり、いつも一緒で学校までついてきた。小、中、高校までも 長生きした。もう犬ではなかった。

そのせいだろうか、幼い頃にも病弱ですぐ病院に入れられていたので私は犬が大好きだった。学校もあまり行かなかったので犬と一緒にいつも話をしていた。泣いている時ペロペロ舐めてくれるのは本当である。絵本見たいな話だろうが本当だ。ただ父の愛犬でもあり近所でも引っ張りだこのみんなに愛される犬だった。

今でも夢に出てきて一緒に遊んでくれる。これは一生続くペットロスだろうか。迷い猫も野良も常に動物がいたけれど、なんであんなに動物が近かったのかなと思う。上京して犬を地べたにつけずに散歩している奥さんを見かける。犬は満足なのだろうか。きっと満足なのだろう。幸せそうに似た顔をしている。

私は一度絶対に忘れないと思った瞬間があった。近所の散歩コースには小さな神社があり、そこから先に開けた空き地と田んぼがあった。

ちょうど夕暮れが始まる頃だった。遠くにワン!と声が聞こえた。あ、と思った。お姉ちゃんだ。散歩紐を持って探しに出た時である。私たちは走ってお互い抱き合って喜んだ。それから神社で一休みして散歩紐を持っている私の手を引っ張るようにまだあっちに行こう行こうと、麦畑の緑のうねる初夏夕焼けが桃色で私は持っているカメラで写真を撮った。よくバカチョンカメラを持ちあるいていたのでうつせるだけ写した。今でも鮮明。手触りも鮮明に今もそこにいるようで嬉しい。いつになったら成仏し生まれ変わりするのだろう。それは私の中だけの問題であり犬には関係ない。


怖かったことも 寂しかったことも 嬉しかったことも 合唱部の歌の練習も聞いてくれて 外で緑色の畑の海を眺めて たまに目を閉じて毛並みだけ味わい会話した。私は大好きだった。大好きだった。いつまでもいつまでも

もう2021年になって、あなたはまだ私のところに帰ってきてくれるのとたまに問いかける。表情も全て家族の時間も全て背負って、洗った後の匂いものみ取り粉を嫌がった顔も嬉しくて笑う顔も、私は大好きだ。ある日犬は車にぶつかってしまった。首輪ぬけができたので一人で勝手に散歩に行くのだ。そしてもう老犬になっていた。吠え掛かったのだろう。ひき逃げされてしまった。しかしまだ意識はあって、少し血が足から出ていて母親が火事場の馬鹿力で抱きかかえて今から病院にいく!と車に乗せた。外で見ていた近所の親父さんは もうこりゃダメだと言った。私は無視した。これほど完璧に人を無視したことはないだろう。犬の命がかかっているんだ。

入院して少し良くなった。毎日自転車で会いに行った。手が腫れていた。私は手をそっと撫でて肉球をマッサージした。毎日学校を休んでまで行ってしまった。そのため単位が危うくなってしまった。その後見事に退院してその後も5年以上生きた。最後は知らない。もうボケてしまっておしっこも漏らしてしまって、かわいそうでならなくて家族全員しんみりしても、家には子猫が生まれたり騒々しかった。

私は大好きだった。犬が大好きだった。だから きっとどこかへ行ってしまって見つからない 歩けないはずなのにねと、母が言っって不思議がっていたけれど、私があんまり大好きだったから、あまり話さない父がきっと、そっと埋葬してくれたんだと今になって思う。

最近は蛾を羽化させたり幼虫を育てらりしているけれどやはりお別れの時は悲しくて、きちんと埋葬をするけれど、犬の埋葬ができなかったことは私にとって幸せなのだろうか、とても悲しいけれど、おかげでいつもそばにいてくれているようなきがする。たまにはこんなに普通な日記もいいだろう。

ああ 会いたいなあ。会いたいなあ。 ああ 会いたい。


終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?