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ブラッド・ブラザーズ 大阪梅田

「ブラッド・ブラザーズ」全公演完全上演おめでとうございました!(2022/04/24)


ホリプロミュージカル「ブラッド・ブラザーズ」が東京で開幕したのが2022年3月21日。
それから、愛知、福岡を巡って、昨日、一か月かかってついに、最終公演地、大阪梅田に来てくれた。

他のミュージカルの公演が無情にもあちこちで中止に追い込まれる中で、よくぞここまで無傷で、最終地まで到達してくださいました。
スタッフ、キャストの皆さまの徹底した危機管理の賜物と思います。
本当にありがとうございます。


刈谷公演鑑賞から12日。
大阪梅田の初日のブラッド・ブラザーズは、出演者の皆さまの心意気が、
「さあ、最終地決戦だ!どっからでもかかってこい!」
と言っているようで。

どの方も、人物の掘り下げが格段に深まっていて、役者というのは、むしろ演じているうちに、その人物自身になっていくのか? と思います。

一か月の間に、それぞれがこの芝居を少しずつ把握し、自分の役をさらに理解していく、その成果がこんな形で表れる。

もはやここにいるのは、本物のジョンストン夫人とライオンズ夫妻、ミッキーとエドワード。
そして、さらに自分の役割を明確に理解したナレーターという名のこの世界を操る人。

観客は、一つの芝居が進化していくさまを目の当たりにする。

これが、一度撮影、編集、完成された同じ作品を何十年も上映し続ける映画との決定的な違いなんだろうね。
そこに、舞台を上演することの意味があるんだろうな、と思う。

毎日、演じるたびに変わっていく役者の心境。その演技を受けて、さらに変化する相手の反応。

そうして相乗効果で、日に日に高まっていく緊張感。
その緊張感は、あと三日、大千穐楽に向けて限界まで行くのだろうけれど、まずは大阪初日、並々ならぬ迫力の出演者の皆さんの「役」としてではなく、確かにそこにいる「人物」としての圧倒的な存在感に身が震える思いでした。

ミッキーとエドワードは、さらに子ども度を高めていて、彼らの中の「子ども」が、完全に彼らの身体に棲みついたのがわかる。
ジョンストン夫人とライオンズ夫人は、さらに母親度を高めていて、そもそも母親というのは、愛情過多の狂気であることがわかる。
一方、ライオンズ氏を見ていると、男性にとって父性など、彼の人生にほとんど影響を与えないものだということもわかる。

基本的に人生は悲劇だ。
2月24日に始まったロシアの「ウクライナ侵攻」という名の戦争。
その殺人の攻撃が緩まることないまま、停戦交渉も決裂し、戦争状態が激化するだけの2022年3月。
そんな時期に、「ブラッド・ブラザーズ」は開幕し、戦争の真っ只中の世界情勢の中で公演を行なってきた。

本来は、物語のラストで双子が殺されてしまうことは、大きな悲劇だが、並行して毎日伝えられる私たちの想像を超えた現実の悲劇があまりに酷いせいで、私は、物語の双子が殺されることにも衝撃を受けない。
むしろ、そのことはあらかじめナレーターによって語られている。

最後に殺されることがわかっている物語をなぜ語るのか。
それは、失われた彼らの命が、本当はどれほど輝いていて幸福で、本来は、もっともっと人生を謳歌して、全うすべきだったかを知らせるためだ。

だからこそ、彼らの一幕の子ども時代の輝きを、私たちは、何度でも思い出さなくてはいけない。

目に映るすべての物に好奇心をもって、知ろうとする。相手をもっと知りたいと思う。自分にはなく、相手の持っているステキなものをうらやましいと思う。それは自分のやったこともない「辞書を引くこと」だったり、「悪い言葉を使うこと」だったりする。
あっちへ行ってはいけないと言われれば言われるほど行ってみたくなる。あの子と遊んではいけないと言われれば言われるほど遊びたくなる。子どもたちのその、禁じられても止められない溢れ出るエネルギーこそが、人間の生きる力なんだよね。

子どもたちの存在は、命の肯定。
子どもたちは、生きる方向にだけ進む。
大人が禁止しようと、邪魔しようと、子どもたちは自らに埋め込まれた命の司令のままに生きようとする。
だからキッズゲームは命の讃歌。

この世界の残酷さ、理不尽さ、非道さをすでに十分に知ってしまった大人たちが、未来ある子どもたちを全身全霊で演じる。
そのことにとても意味がある。
大人世界の理不尽さの洗礼を受けた人間が、世界に希望を持っている子どもたちを演じる時、自分の中で捨てなければならないものがある。
キッズゲームを演じる大人たちがそのシーンを演じるために捨てたもの、それが、おそらく世界平和を実現する鍵になる。

今、すべての大国の首脳たちは、キッズゲームを演じればいい。
彼らに、演出家吉田鋼太郎氏のOKが出るレベルのキッズゲームを演じることができた時、戦争は終わるだろう。
人を友達としてではなく、人数と数えて殺戮するなど、子どもたちにはできない。

大阪公演では、ミッキーとエドワードの子ども度は格段に上がっていたけれど、キッズゲームの子ども度も、さらに上がっていた。

これからの世界中の大人たちの課題は、吉田鋼太郎演出でOKが出るレベルのキッズゲームを演じる心を取り戻すことかもしれない。
それは、特に各国首脳に求められる研修だ。
その研修が実現する際にはぜひとも
家塚敦子、岡田誠、河合篤子、俵和也、安福毅の5名は、各国大使館に特別講師として赴いていただきたいと思う。世界平和のために。


命あふれる子ども時代の一幕が終わり、ここで終演すればみんなしあわせなのに、と思う。
一幕で帰ってしまえば、不幸に立ち会わずに済む。
けれども、帰らずに二幕も観る。

大人世界へ入っていけば、差別と、理不尽が横行する中で生きなければならない。

(もちろん、上記の研修により各国首脳がただちに考えを改めて、誰もがしあわせに生きられるような平等な社会を実現すれば問題は解消する)

二幕は総じてつらい。
誰もが不幸だ。
自分の不幸を自覚していないライオンズ氏も含めて。

誰もが不幸なのは、この世界の現実だ。

でもそこに救いはあった。

命がけで演じる役者さんたちの姿。
美しい音楽を奏で続けるミュージシャンの高い技術と音楽性。
暗転の間に家具を移動させる黒子のスタッフ。
そして何よりも心に響くのが、舞台には出ていないけれど、主人公の歌を影から支える重厚な素晴らしすぎる影コーラス。

◯◯すぎる、という言葉を、あまり使わない。たいていの場合、それほど「すぎない」からだ。

けれどもここは、声を大きくして言おう。
ホリプロミュージカル「ブラッド・ブラザーズ」のコーラスのレベルはすごいぞ!
素晴らしすぎる。

たった5人?のコーラスで、120人のオーケストラかと思うほどのサウンドを産み出す?
その音域の広さと、コーラスの美しさに泣きそうになる。

そもそもが、たった13人の出演者で、これだけの芝居を演れるということ自体が驚きなのだが、本当に実力のある方が13人集まると、こんなことが起こるという奇跡のような舞台。

一人一人が、自分の能力の200%くらい発揮することを目指してやっているのだろうなと思う。
そのせいで、どんどん共演者の能力を引きだしてしまい、最終的にとんでもない舞台が目の前に立ち上がる。
こういうのを、奇跡というのだと思う。

こういう奇跡が起こるのは、希望だ。

世界がどんなにつらくても、どこかに一つの希望があれば、人はそれをたよりに生きることができる。

私の2022年3月は、ウクライナに住む親しい友人の何人もが、家を追われ、街を破壊され、愛する人を殺されたそんな一か月だった。

私は、大好きな友達が、小さな荷物一つと猫を抱えて満員の電車に乗って避難する様子を、彼女から送られてきた動画で観ていた。
その酷い事態は、今日4月22日現在まで、止むことなく続いている。
ウクライナで美しい家で、文化的に暮らしていた何人もの美しい友人たちが、次々に想像を絶する酷い目に遭っていくのを目の当たりにしていたこの3月と4月。

私は、明るいことを考えたり、気を逸らしたりして、なんとか生きているつもりだったけれど、ある時、自分がすでに壊れているのに気づいた。

ウクライナに共通の友人を持つ日本の友達にメールを送った。
「ひどすぎる。もう無理、限界」
これまでウクライナの友人たちは、いつも気丈なメッセージを送ってきてくれた。
「大丈夫、私たちは無事です。あなたの友情をいつもありがとう」

けれども、今回日本人の友達は、彼女たちとは違う返信をしてきた。
「酷すぎて、限界、本当に限界」
その人は、会社を持っている男性なので、その返信は意外だった。
でも、それで私は気づいた。
何人もの大切な友達が、殺されようかとしている時に、平気な精神状態を保っていられる方がどうかしている。
私の精神が壊れてしまったと感じたのは、当然のことだった。

友達が酷い目に遭っている時、平静でいられないのは、当然のことだ。
悲しいのは当たり前だ。
無理矢理、元気を出したってどうしようもない。

そのことに気づいて、どうしようもない気持ちで、昨日、梅田のシアタードラマシティに向かった。

実際問題、(ウエンツ君か壮麻さんの声で)「ブラッド・ブラザーズ」の舞台が始まり、敬子さんの歌と彼方さんの声が響いて、さらに一路さんとのバトルが始まり、子どもたちが騒いで走り回り、あれやこれやあるうちに、とうとうラストのカーテンコールで皆さんが晴れ晴れとした笑顔で舞台に並んでいるのを見た時には、私の中の絶望は消えていた。

皆さんのエネルギー。
これは、生きる希望。
世界がどんなに悪くても、それでも希望はある。
いい作品をみんなに見せようという気概の前に、絶望は吹き飛ぶ。

だから、表現するものたち、発信するものたちは、つらく苦しい人たちのために、発信し続けなくてはいけない。
そこに、希望が生まれる。

伊礼彼方さんが、公演プログラムに書いている通り、今回の「ブラッド・ブラザーズ」は、コロナ禍とウクライナ情勢の中で行われている。
そんな中で上演されたこの作品が、私に希望を与えてくれたことに、深く感謝します。

「ブラッド・ブラザーズ」に携わったすべての皆さま、ありがとうございました。


私がこの作品を観ることになったきっかけは、ホリプロミュージカル「北斗の拳」に関連しての、伊礼彼方さんと安福毅さんのインタビュー記事でした。

アンサンブル俳優の仕事にフォーカスした記事で、私が長年疑問に感じていたことなどなどが提起されていました。
この記事を読んで、このお二人の出演される「ブラッド・ブラザーズ」も観てみたいと思ったことから、二度の観劇が実現しました。

とても大切なことをたくさん教えていただいた公演でした。
プリンシパル俳優として活躍されながら、常に全体を観て発言されている伊礼彼方さんの今後のご活躍に期待します。
そして、アンサンブル俳優としてのキャリアと実力で重要な公演を支えていらっしゃる安福毅さんの素晴らしい歌唱、全身全霊をかけての演技に再度、心からの拍手を送りたいです。

「ブラッド・ブラザーズ」公演が、つつがなく大千穐楽まで上演できますように。
そして、このミュージカルを観た人たちが、子ども時代を思い出して、自分の中から、大人世界の理不尽さを追い出して、しあわせに生きることができるようになることを祈っています。

そして、世界中のみんなが、平和に暮らせる日々が一日も早く訪れますように。

ありがとうございました。

LionMasumi。

刈谷公演の感想はこちら↓

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