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創価学会批判に思うこと。

創価学会に関する各週刊誌の報道が、盛り上がっている。

コンビニや駅の週刊誌の棚って、正直JUMPぐらいしか手に取ったことないんですけど笑、タイムラインにも流れてくる学会関連の無料記事はなるべく見るようにしている。

中には、そうした記事に心を痛めている学会員さんも多いだろう。
逆に「今がチャンス」と身を乗り出して、攻勢に拍車をかける学会アンチの方々が多くいるのも想像に難くない。

これまで「学会への批判も非難も“価値ある意見”には耳を傾けるべき」なんて思っていた僕ですが、今回ばかりは正直に言って、腹が立つことの方が多い。
解決済み過去デマのリバイバルにはじまり、真偽不明、誇張表現、権利侵害に至るまで、なんというか、そこから価値を見出せそうな言説がまるで見つからない。

あくまで冷静なつもりでいるけど、心の奥では自分がファイティングポーズを取ってしまっている気がする。

ということで、今回ばかりは口が悪くなったらごめんなさい。笑

学会の特集記事がつまらない。

まずはじめに一つ言いたいんですけど、週刊誌の学会特集がつまらない。

文春、新潮、光文社のFLASH、プロの編集者がいて、使える経費もそこそこあって、情報ソースもこれだけ世に溢れているのに。
不倫、裏金、あらゆるゴシップは「文春砲」「新潮砲」とか持て囃されて日々メディアを賑わす面白さなのに、“創価学会ネタ”だけはどうもつまらない。

なぜだろう。

先日、soka youth mediaでこんな記事が出ていた。

〈完全解説〉週刊誌が創価学会ネタで稼ぐ4つのステップ
Soka youth media

攻めたタイトルだなと思ったけど、内容はほんとに同意の連続だった。
記事の「見出し」だけ抜粋するとこんな感じ。

●ステップ1:無関係の話を無理に「寄せる」
●ステップ2:「デマ」と「ハリボテ見出し」
●ステップ3:古いネタをこすり続ける
●ステップ4:そして「政治家」が利用
「〈完全解説〉週刊誌が創価学会ネタで稼ぐ4つのステップ」より

見出しだけで、「あー、なるほど」って思える。
この時点で週刊誌の「ハリボテ見出し」よりずっと面白い。

そうそう「ハリボテ見出し」、これなんですよ。
タイトルだけは一丁前なのに、肝心の中身(記事)が面白くない。
学会が批判されてるから面白くない、これももちろんあるけど、採用している証拠や証言が薄弱で、論理的な整合も取れてなかったり、タイトルの伏線回収すらまともに出来ていないこともある。

読み物として、残念なことだ。

「相変わらず」のエピソード

先のSoka youth mediaの記事の中には「“相変わらず”のエピソード」が登場する。
週刊誌の“学会批判”の手法が、「30年前から“相変わらず”」だと語る先輩の話だ。

多くの諸先輩方はきっとそう笑い飛ばしているんだろうな、との力強さ、頼もしさを感じる一方で、僕は「変わったもの」にも目を向けてみたい。

確かに『週刊誌の手法』は変わらずとも、『学会員を取り巻く環境』は様変わりした。

聖教新聞や創価新報で抗議文を出さずとも、一人一人の学会員がSNSをはじめとして、自分の言葉で、自らの実感を込めた発信や抗議をするようになった。
青年部のsoka youth mediaも始まった。

今まで教義をいくら読んでもなかなか解らなかった学会の実像が、飾らない言葉で、ありのままの姿で自由に語られるようになった。

その言葉、一つ一つのエピソードには、誰かを納得させる説得力があり、私も頑張ろうと鼓舞されるエネルギーがある。

生の声、真実の声に誰が勝てようか。

反学会市場も、もはやレッドオーシャン

しかも週刊誌の記事を読んでいると、同じような名前の人物ばかりが登場したりする。

長井秀和、朝木市議、つばさの党の黒川代表とか。そこに、自称・学会ジャーナリストを名乗る乙骨とかいう変わった苗字のおじさんが出てきたり(長井氏のTwitterではじめて顔をみた)、元・理事長の息子なんて肩書きで、Twitterでもやりとりしたことのある正木伸城さんが出てきたりする(正木さんはスタンスがよくわからないし、最近はあまり見なくなったけど)。

もうみんなお腹いっぱいだし、彼らも気づいている。
反学会市場も、気付けばレッドオーシャンと化してしまった。

彼らが単独でインタビュー特集されるなんてことは、なかなかないだろう。大体、誰かとセットで登場して、"お得なセットメニュー"みたいな扱いを受けている。

誰かが伸びれば、誰かの存在感が薄まる。
存在感の薄まった人間は、自分の居場所を確保しようと、さらに苛烈なネタはないかと血眼になる。
でも、新しいネタはなかなか見つからない。

だって、誰一人として"いまの学会の中"で活動してる人はいないのだから。

たとえ、彼らが新たなネタを見つけたとしても、それが“伝聞”に過ぎないことに注意すべきだ。

言葉に「リアルさ」がない

もうひとつ最近、思うことがある。

実は、学会を評論すべく週刊誌に登場する人物たちの方が、“理想主義や観念論に囚われているんじゃないか”、ということだ。

学会は全くもって完璧な団体じゃないのに、たくさん課題があるのに、どうしても「本来の宗教はこうあるべきだ」とか「政治と宗教はきちんと分けるべきだ」とか、全体論や抽象論にばかり着目してしまう。だから批判の矛先を誤る。

でも、その言葉には「リアルさ」が欠けていて、そこから生まれる批判は現実性と実効性に乏しい。
簡単にいえば、「言ってることはわかるけど、それ"きれいごと"じゃない?」って思えてしまう。

もう一度言うけど、誰一人として"いまの学会の中"で活動してる人はいないのだから、当然だ。

あらためて、創価学会にはたくさん課題がある。
でもそれは決して、反社会性だとか違法性だとか、そんなデカくて重たい話じゃない。

「活動に時間を使いすぎで家事ができずパートナーの機嫌が悪い」とか「会合の式次第がなかなかアップデートされなくて困ってる」とか「4世で学会に反感を抱く未来部のあの子をどうやって励ましていこうか」とか、もっと生活や活動に密接に関わるものだ。
たぶん、週刊誌の記事にしても面白くないだろうけど笑、僕たちからすれば週刊誌に書かれてることより100倍大切だ。

でも、週刊誌や反学会コメンテーターたちは、そうした"小銭"には目もくれない。

足元に散らばって落ちている100円玉を拾うこともせず、どこかにあると噂で聞いた"埋蔵金"を探し求めて今日もまた、デマと誇張で耳目を集め、週刊誌の編集者はガセネタを掴まされている。

そこに「本当の感動」はあるか

最後に。
こんなこと週刊誌に求めるのは酷かもしれないけど、とにかく文章に「感動」がない。それを読むことで、心を動かされることがない。

学会を批判する彼らはきっと、「手っ取り早く学会を退治したい」と考えているだろう。

学会員がどれだけの時間をかけて、どれだけの実感を伴いこの信仰に確信を抱き、生活に落とし込んでいるのか。その地道な努力や、懸命に生きる信仰者へのリスペクトも配慮も全くない。

中途半端な嫌悪感と、一部の世論の後押しを受けて(いると勘違いをして)、「面白そう」「バズりそう」だから書いてみよう、では動機が弱い。

または、永田町の権力闘争に絡めて、なんらかの権力者が背後で蠢いてたりするのかもしれないけど、なんにせよ「何かのついでに学会の勢力を削げるならラッキー」みたいな印象だ。

だから、勉強不足感が否めない。
勉強不足、熱量の不足ゆえ、そこには「感動」がない。

かたや、学会の中で活動をしていると、命が震えるような「感動」に出会うことがある。
もちろん、いつもいつも、毎日のように感じているわけじゃないけど、いつまでも胸がいっぱいになるような感動を味わうことがある。

聖教新聞に日々紡がれる人生を懸けた体験談、清新な決意。
どんなに疲れていても、どんなに落ち込んでいても励ましてくれる人、思ってもいなかった選択肢へ導いてくれる人。
普段は苦手に思うこともあるけど、口角泡を飛ばし、圧倒的熱量で語る先輩の言葉に「こりゃ勝てない…」と胸を打たれることがある。

人生を懸けた挑戦と信仰、そして師弟という究極の主体性を武器に生きる偉大な庶民の「底力」を甘く見積もり、“きれいごと”ばかりを語り、旧・統一教会の問題から始まる“カルト批判ブーム”に乗っかった程度の「信なき言論」で、学会を打ち負かす算段でいるなら大きな間違いだと言いたい。

良識あるジャーナリズムを

さっき週刊誌や反学会コメンテーターが「ありもしない埋蔵金」を探しているとの比喩をしたけれど、その一方で学会員は、目の前の課題に一つ一つ向き合い解決しながら、今日もコツコツ「100円玉貯金」を続けていることを忘れてはいけない。

これからも日々、世論は変化し、ブームは移りゆく。
週刊誌や反学会の彼らの策謀や謀略も一層加速していくかもしれない。

でも、たとえ「100の暴論」があっても、1つの正論や「たった1度の感動」には勝てない。
日々「変わりゆく学会」に、いつまでも「アップデートされない批判」では敵わない。

やるならとことんやるべきだ。

よく各種メディアの取材部とかが、バズってる投稿主に「取材したいのでDM解放を」なんてリプを送ったりしてるけど、こんだけ学会員がSNSにたくさんいるんだから、本気で学会員に取材してみればいい。

会合の趣旨だけこっそり聞いて、適当なまとめ記事書くんじゃなくて、直接、青年部長や男子部長に「今日はどんなこと話したんですか?」ってDM送ればいい。

大衆に消費されるだけのオワコンメディアとしてではなく、信念や良識に基づく編集、ジャーナリズムであってほしいと心から願うばかりです。

まあ、無理だから週刊誌なんだけど。


ということで、最近の週刊誌報道や学会批判に対して思うことを、深夜テンションでつらつらと書いてみました。(公開は明日以降になってると思いますが。)

今日は仕事終わりに、仲の良い友人に会いに行ってきます。おじいちゃんから送られてきたリンゴを持って。
それでは。

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