中学の頃はいじめられていた話

私は中学校の頃は所謂いじめられっ子であった。
今から遡ると約30年以上前の話になる。

修羅の中学校への転校

中学2年の時に父が家を建てることになり、結構な田舎に引っ越すことになり転校した。

この学校が漫画に出てくるような田舎のヤンキー中学校で、まともな生徒のほうが少ない有様。
同じ市内なのに新設中学校だった、やや都会寄りな前の中学校に比べると、まるで北斗の拳で描かれる世紀末に送り込まれたようなカルチャーショックすら覚える、強烈、というか劣悪な環境であった。
教室の後ろの黒板に穴が空いていたため「あれは何?」と聞くと、3年の先輩が集金しに来た時に断ったやつがいて、激怒して特殊警棒で叩き破ったものらしい。
さぞかし凄い音がしたことだろうし、空いた穴からは中の木材の積層が見えており「あぁ黒板って本当に木の板でできてるんだな。」などと思った。

目をつけられるまでの経緯

この田舎中学の生徒からすると都会から引っ越してきた、まじめそうでひ弱そうな私は絶好のカモとなったのか、すぐにヤンキーどもから声がかかり、舎弟として使えるのかどうかの品定めがあった。
具体的には軽く学生服のカスタム具合などのチェックが入ったあと、インタビュー形式で根掘り葉掘り聞かれる。
家族構成や前の中学校での武勇伝の有無、その学生服(当時ビー・バップ・ハイスクールという漫画&実写映画の影響でボンタンが流行っていた)をどこの店で買ったのかなど、いわばヤンキー度チェックということだろう。

ヤンキーの中には私の用心棒的に「何か問題あったら俺に言え、助けてやる」と不思議な正義感を振りかざす輩もいたが、子供心に頼りにはしていなかったし、簡単に特定の派閥に与するのも危険だとも察していた。

私は今でも特定の派閥にベッタリ寄り添うのは好きではないし、人付き合いは上手ではないと思う。この時もそうで、ヤンキーから声はかけてもらうが付き合いが良いわけではなく、特に誰かの軍門に下るわけでもないので、ヤンキーどもからすると面白くはなかったのだろう。

そうして私は段々とヤンキーに相手にされず、いじられキャラとしてのポジションが形作られていくことになる。

さらに、部活は前の中学校に引き続き、父親に嫌々やらされていた剣道部に入ることになる。

これがまた最悪で部室では平気でタバコは吸うから臭いわ汚いわ、不良の温床であった。

部活の練習自体も最上級生にあたる3年生は神のような扱いで、何されても文句は言えない空気が漂い続ける。
目をつけられれば稽古でもひたすら地獄のようなシゴキを受ける。
素直に従う以外、無事に過ごすための選択肢は存在しないのだ。

そんなこんなで私は速攻で剣道部を辞めたい、と親に相談し、親も了承、わずか2ヶ月で剣道部を退部することになる。
この中学校の剣道部は市内ではそこそこの強豪校であり、退部してからの扱いが酷いためか、なかなか途中で退部する生徒はいなかったらしい。

私は転向してきて入部したかと思ったらあっという間に退部したので、これが目立ってしまったようだった。

廊下ですれ違うたびに軽くイビられ、同級生からも剣道部途中退部のレッテルを貼られ、段々と風当たりが強くなっていくのがわかった。

剣道部退部からの吹奏楽部入部

その後、私はすぐさま吹奏楽部に入部する。
担任の先生が顧問であったこともあり、帰宅部になるくらいなら男子が足りないから吹奏楽部に来てくれないかとの誘いもあった。
また、楽器は前から興味があり、音楽自体が好きだったため、非常に前向きに考えた結果の決断だ。
女子が多いのと男子も真面目そうな生徒ばかりなのも知っていたので、剣道部のような先輩の悪質なイビリも無いと推測できた。

吹奏楽部ではトロンボーンのセクションが与えられ、全く触ったことも無かった楽器練習にのめり込み、すぐにメイン奏者になった。
本当に楽しい日々が送れたので、今思い返してもいい選択だと思う。

ちなみに現在の妻はこの中学校の同級生で、同じ部活に所属しており、途中から同じトロンボーンセクションとして共に活動することになるが、それはまた別の記事に書きたい。

今から約30年前の当時は運動部から文化部への移籍がかっこ悪い、情けないとするような価値観がこの学校の男子生徒に植え付けられていたのか、私は剣道部を挫折して吹奏楽部に逃げ込んだ軟弱者として扱われることになる。

喧嘩は弱いくせに気持ちだけは強気だった私は、そんな目で見られていることがわかっていても誰に媚びることも無かった。
先輩やヤンキーどもに逆らったりはしないが、そいつらと群れたりすることもなく、普通に仲良くなった友達とだけ付き合っていた。

中途半端なヤンキーに絡まれる

最初にヤンキー度チェックをしてきたような本当に悪いヤツらは次第に私のことを相手にしなくなるが、カッコだけ悪ぶって本当に悪いことはビビってできない吉田(実名 笑)という奴がいた。

こいつがこの頃からどうにもしょーもない陰湿なイタズラを仕掛けてくるようになる。

雑嚢※の肩紐に女性器を表すマークを油性マジックで落書きされたり、昼休みから教室に帰ってくると私のデスクの上に土のついた雑草などが置かれていたりと本当にしょーもない。

雑嚢(ざつのう)=当時の中学生男子生徒の学校用肩掛けバッグ。ルーツは日本軍が使っていたものらしく、色がカーキならまさに軍用のバッグである。今時こんなミリタリズム溢れるアイテムを子供に使わせてたらモンスターペアレントども格好の的になるであろう。

私はそれを発見しても吉田がやったのは以前から怪しい雰囲気で私に接していたことから容易に推察していたので、完全に無視して冷静に対処した。
雑嚢の肩紐は全てホワイトの油性ペンや修正ペンで落書きを消し、机の上の土と雑草は無言で机をひっくり返して床に落とし、そのまま掃除せず放置した。

落書きに関しては購入してくれた親のほうが憤慨した。
特に父は同中学校の卒業生で、若い頃は札付きの不良だったヤンキーあがりだ。

「そいつの親は誰や!?」

と自宅で憤り「エスカレートするようなら俺が出るから自宅の住所と親の名前を調べておけ」と私に指示した。

それをされると余計にエスカレートするような気もしたが、こういう時の父は頼りになると思っていた。

イタズラから暴力へのエスカレート

吉田はその後も、下駄箱の上靴に落書きしたり、机に画鋲などの仕掛けをしたり、本当にしょーもないイタズラが続いたが、相変わらず私が無視するのでついには直接の暴力にエスカレートしてきた。

本気で殴ってくるわけでも無いが、当然殴られれば痛い。
絶妙に怪我や痣が残らない威力で攻撃してくるという、実に姑息な男であった。

殴られた私は反抗的な視線で睨みつけたので、ようやく吉田が期待した通りの反応を見せてしまったたのか、これがしばらく続くことになる。

これには流石に嫌気が差し、段々と心が追い込まれてきた。

この頃、まだ母親と風呂に入っていた私は風呂でこのイジメを思い出し泣くいてしまう。

母はすぐに理由を察してくれ、父に相談するという。
息子の道具を汚し、暴力も振るうなどと、もう我慢ならぬ、と母も憤慨した。

父、吉田の自宅へ乗り込む

しばらく学校で過ごす中で、吉田の自宅住所は特定できていたので、私を連れて吉田の自宅に乗り込むことにした。

そこは父が育った地元でもあった。
吉田の親の素性を確認するため、父は自分の同級生のネットワークを使って(当時の連絡手段は電話だが)、○○の吉田って奴知ってる?などと、ずっと地元で生活されている方々に調査を行った。

数人に聞いたところで、元々は地元民でないこと、他所から引っ越してきた者だというところだけわかった。

これがわかると父は「本当にヤバい奴じゃないみたいだけど、素性がわからないから最初は丁寧に話す。」という作戦を私に告げる。

吉田の自宅を訪ねた。
吉田の父親は何のことかわからない、といった態度で要領を得ない対応をしたが、父は絶対に引き下がらなかった。

「あなたがわからないなら息子さんを今ここに連れてきてください。本人に確認します。」

吉田本人が渋々奥の部屋から玄関に呼び出され、私の父に事実確認を迫られる。

息子のバッグ、上靴、他の持ち物を汚損したり損壊したり、暴力を奮った事実を本人の口から認めさせ、今後はやらないと宣誓させ、謝罪させた。

今後同じようなことがあれば、また父が吉田宅に出向いて話し合いをさせてもらう、と宣告し訪問は15分程度で終了した。

吉田の親は謝るでもなく、傍でただその様子を見ており、擁護のために口を挟むでもなく無関心な様子だった。

今思えば吉田はネグレクトの被害者だったのかもしれない。

かと言って、それを私にぶつけてもらってはたまったものではない。

そして解決へ

父が吉田宅を訪問してからは、綺麗サッパリ吉田が何もしてこなくなった。

私の気持ちはとても晴れやかなものになり、その後は楽しい中学ライフを満喫することになる。

イジメられたら必ず誰かに相談してほしい

あの時の父と母には本当に感謝している。

イジメられたら必ず誰かに相談した方が良い。

今でもイジメはなくなっていないと思う。
子供たちがイジメを理由に自殺したニュースを見るのは、本当に胸を締め付けられる。
私もかつてイジメられていたから。

自分の息子達がイジメられていたら、私はどんなことをしてでもそれを止めたいと思う。
時代も変わり、父とは違う手段で解決することになるかもしれないが、ありとあらゆる手を尽くす。
絶対にイジメを、息子を追い詰めるヤツを許しはしない。

相談する相手は親ではないかもしれない。
先生かもしれないし、知人の大人かもしれない。
そうでもなければ、イジメに関する相談センターみたいなものが必ずそばにあるはず。
とにかく一人で悩んでしまって、最後に自らの命を断つような選択だけはしないで欲しい。
どこかの大人に相談してからでも遅くはない。

特に学生のうちは、学校が世界の全てとしか思えないから、そこで受ける苦痛のせいで、この世の終わりに思える。
すごくわかる。
私もそうだったから。

でも、生きていたら楽しいこと、気持ちいいこと、笑えることがたくさんあるから。

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