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今も建てられている家

もし、主が家を建てるのでなければ、
それを建てる人々は空しく労苦することになる。
もし、主が町を守るのでなければ、
守る人は空しく見張ることになる。

詩篇127:1

年末年始、穏やかな日和が続いた。
でも、過ぎてみれば、いつの間にか、日本ではコロナ感染者は増加の一方、インフルエンザも流行の兆しという。そして、昨今のニュース、改めて、核の脅威が脳裏をよぎった。(ふと… 杞憂だと思いたい。まさかそんなことにはならないだろう、何だかんだあっても”日常”は続くのだと。でも、実のところ、世界のいたるところで、悲痛な叫び。続いていない”日常”がある。どこかで他人事のように思ってしまっているけれど、いつ何が何を誘発するか分からない。)

様々な対策、努力は何だったのか。

と思ってしまう自分がいる。ただ、していなかったら、今、どうだったかは分からない。確かなことは、ここまで折々に守られてきたこと、何かが築かれてきたこと。どれほどの意味があるのかは… 永遠につながるものでありますように、祈りゆだねて。

今なお、守られている町、建てられている家がある。とこしえに続く、朽ちることのない都、家! しっかり覚えていたい。願わくば、仰ぎ見つつ。

そして、その礎となってくださった方、イエス・キリストから、目を離さずにいたい。

家を建てる者の捨てた石が 隅の親石となった。
これは主の業 私たちの目には驚くべきことだ。

詩篇118:22-23

見えないけれども、圧倒的な主の守りの中で、私たちもまた建てあげられたら(第一ペテロの手紙2:4〜 )。いつまでかは分からないけれども、与えられる日々を通して… 躓き、失敗あっても、主の無尽蔵のいつくしみと恵みのゆえに。

年明けの仕事を終え(まだ始まったばかり!)、
どんよりした日を迎える中での祈りでした。

※ 画像は、有名なサグラダファミリア、以下サイトから。転載、問題あれば、お知らせください。
https://sagradafamilia.org/en/photo-gallery

建築のことも、芸術のこともよく分からない私でも、すごい! 素晴らしいなぁと、ネット上でさえ、見入ってしまう教会。行って、実際に見てみたい。でも、主にあって建てられている神殿は、比類なきものらしい。全地を超えてすべてを覆い、主の栄光に満ち溢れるという(黙示録21-22章)。サグラダファミリアよりも身近で、どこからでもアクセス可能! 

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