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今はぼんやりでも…

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。

Ⅰコリント13:12

聖書でイエスがある盲人の目を癒やして見えるようにした奇跡を行ったとき、その盲人の目は段階的に良くなりました。

24 すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」と言った。
25 それから、イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきりと見えるようになった。

マルコの福音書8:24,25

ここの箇所について、これまで私は「癒やしは一気に治ることもあれば、段階的に起こることも、あるのだ」と思いました。しかし、クレイという日ごとに聖書の解説をあげているサイトを見たとき、「神様が今は見えなくても大丈夫なんだ」という全く新しい視点に繋がりました。(御言葉は生きていて、いつも私たちに新しく飛び込んできます!)

盲人の目が見えるようにったとき、見えるけれども認識はできない。神様もそれと同じように、今この目には直接見えなくとも心の目は開かれ、神様を知ることができている。そしていずれは顔と顔とを合わせることになる。そのことが分かり、とても感謝と安心でした。
今めちゃめちゃ神様の存在を感じるときでさえ、まだ直接見ているのでもなくて鏡に写った神様を見ているのだから、実際に会うときには、その栄光はどれほどだろうかと思う機会にもなりました。神様に感謝します🙌🏻

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

マタイの福音書 28:20


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