とある世界の私
人は世界を「みたいようにみる」
裏を返せば、「みたいようにしかみない」
常日頃からもこさんがお伝えしてくれることで
そんなものかあ〜、と、聞いた時はよくわからないけど
何かの折に思い出す言葉の一つ。
それがこの間、とある映画をみたあとの
Rちゃんとのやりとりの中で
「あっそういうこと!」と腹に響いた・
お互いに映画の感想をシェアしていたら
Rちゃんにとったら、私は、とあるキャラぽい存在だ、と言って、
私が???ってなって。
・・・。
いやいやいやーーーーーーーーー
ちゃうちゃうちゃう!!!!WWWW
そんな私はおらんおらん!
と、思うと同時に
「へー Rちゃんの世界にそんな私がいるんだね」
と、いう言葉がでました。
***
そのひとの感じていることは
その人にとっては「ある」ことで
私にとって「ない」ことでも
ある世界の中ではそんな私も「いる」のだと
それは自由なことだよな、と。
そんなふうに受けとめれて、
あーーーーそうか、
だから自由に自分を演じていいのだ、と。
「何者かになろうとすること」とのちがいが
明確になりました。
その瞬間瞬間の自分を
楽しんでいればいい!ということですね・
みんな自由だ🙌
「こうだ」という概念や見方にハマる必要もなく、
ハマる違和感を感じることをダメにもせず、
見たいようにしかこの世界を見ない自分に怒る必要もなく。
自由人Yちゃん(くん)とのやりとりでも通じるところがありました♡
***
つい最近までは、
相手の世界にいる自分と
自分の世界の自分にギャップがあることや
自分がどんどん変化していくことに
随分パニックして、
辻褄の合わない自分をぶっ壊そうと
不毛な努力をしてきたよなあ、と。
むしろ、ギャップにはエネルギーが流れるからあっていいのに、
ギャップがあること=「嘘」だ、だからだめだ、という見方しかできていなかった、
クソガキ〜な、自分をまた笑えました。
つまんない正しさより、面白い方がいい。
今日も、予定外想定外、前言撤回I'mソーリーオンパレードだけど、面白いです。
今日もお読みいただき、ありがとうございました⤴️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?