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奇跡講座WB実践355 私が神の言葉を受け入れるとき、平安や喜びや、私が与える奇跡のすべてに、終わりはなくなる
第二部
14 私とは何か
レッスン355
私が神の言葉を受け入れるとき、平安や喜びや、私が与える奇跡のすべてに、終わりはなくなる。今日をその時としてもよいのではないだろうか。
赦しが私が生涯やっていくことだと思う。
神の言葉を、神の言葉だけを受け入れたいと思う。
それでも私は神の言葉に耳を塞ぎ、自我の声を聞いている。
そんな自分にがっかりする。
がっかりする自分にまたがっかりする。
あーあ。
赦しをしよ。
自分だけだ。
向き合うのは自分だけ。
いつだって。
人は変わらない。
私の投影に過ぎないから。
人の言うことも変わらない。
私の心の投影だから。
人の言うことがどれだけ信に値しないことか。
人が流す情報がどれだけ信に値しないものか。
それはすべて私の心の投影だからだ。
私に罪悪感があるかぎり、
私の目に映る出来事は私の罪悪感を映し出す。
私の耳に入る情報は私の罪悪感を表す。
私の罪悪感は大きな誤り。
私は神に対して罪を犯すことなどできない。
私は神から離れてなどいない。
神から離れてしまったと信じ、持ってしまった甚大な罪悪感。
その罪悪感を赦しによって聖霊に取り去ってもらう。
何度も何度も赦しをする。
甚大な罪悪感を取り去るために。
すべての罪悪感が取り去られるとき、
在るのは、愛だけだ。
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