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奇跡講座WB実践255 私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ

第二部
4 罪とは何か
レッスン255
私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


少しのイラつきを感じたとき、
今が今日のレッスンの実践の機会だと思った。
イライラの感情を見ずに流すことを選択する。
そして私は平安の中にいることを選択する。


今までもこのような練習があった。
今までより今日のほうが心は穏やかだった。
イラつきをすっかり流しきれたとは言えない。
くすぶるイラつきは残っていた。

それでもそのイラつきを掴まずに、
今日は平安の中にいるということを心の中で繰り返した。

おかげでイラついていたことを誰かに話さずにすんだ。



昨夜、以前一緒に暮らしていた猫たちの写真を見ていた。
このノートの記事に使う写真を探していたから。
するとふと、どこからか言葉が私の頭の中に入ってきた。


「終わった」


終わった?
この子たちと私の学びが終わったということ?

そう感じた。
彼らと別れてから2年以上が過ぎた。
最近までずっと私の中に彼らに対する罪悪感があった。
写真を見れば、「ごめんね」の思いが湧く。
別れた時のことを思い出す。
別れの日の彼らの顔を思い出す。
「ごめんね」が溢れ出す。

この罪悪感についての赦しを特別にしていたわけじゃないけれど、
最近の練習で私の中にあった本当に深い罪の意識、巨大な罪悪感を見て、その赦しをしていた。

特に特別な変化を感じていなかったけれど、
今朝この話をLinpにしたら、
「罪悪感が取れたんだね」
と言われハッとした。

ちゃんとできた意識などまったくないけれど、
ただ見えたものをそのまま認め、
それを聖霊に持っていき赦しをする。

そのことで思いがけないところの罪悪感を聖霊が取ってくれているんだ。


今のこの私の感覚では、本当に猫らに対する罪悪感が取れたのかどうかもはっきりわからないけれど、
それでも聖霊が少しずつ罪悪感を取り除いてくれているんだと思った。


わからないままでいい。
ただ日々こうしてひとつ気づき、その気づきから赦しをする。
神の愛の中に留まることを意志しながら
赦しをし続けていく。

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