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大海に落ちる1滴のしずくに過ぎなくても

人の振るまいにイライラする。
人の言い方にむかつく。
心が勝手にそう動いてしまう。

赦し・・赦しだ。。
赦しをしよう。。

赦しをしても心は変わらない。
赦しをしても分離の見方しかできない。

そんな日々が続く。


どれだけ私の心が分離していたいと望んでいるのか。
どれだけ私の心が罪悪感を抱えているのか。
どれだけ私の心が罪を犯してしまったと信じているのか。


私の目には日々、それを表す出来事が映る。
毎時毎秒、私の罪悪感が映し出される。

赦しが追いつかない。
そう思える。

私の赦しなど、荒れ狂う大海に落ちる1滴のしずくに過ぎないと思える。


それでもいいのだ。
それで充分なのだと聖霊は言う。


罪悪感が大きすぎてどこから手をつけていいのかと思ってしまう。
私の赦しなんて意味ないんじゃないかと思いたくなる。


それでも私は聖霊を信頼する。
神が救済は完了したと言っているのを信じる。

どんなに無駄に思えても、
どんなに私が失敗したと思えても、
どんなに私が自我の反応をしてしまったと思っても。

私は聖霊を信頼しよう。
神を信頼しよう。

赦しをする。
ひとつ赦しをする。

私たちの罪悪感を取り去ってください。
私たちの罪を犯してしまったと信じた心を修正してください。

私はキリストの心眼で見たい。
私は神が創造したものだけを見たい。
一日に一瞬でいいからこのことを意識的に宣言しよう。


私の心が何にも揺るがない神、聖霊への信頼で満たされますように。

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