見出し画像

奇跡講座WB実践295 今日、聖霊が私の目を通して見ている

第二部
8 実相世界とは何か
レッスン295
今日、聖霊が私の目を通して見ている。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


(これは私が感じたことの記録です)

私のこの肉体の目を、世界を贖えるように使わせてほしいと、キリストが求めている!

ああ!
そうか!
そういうことか!


神の元に帰りたいと願っているのに、
日々目にするのは、自我の見方しかしていない私の投影。
日々耳にするのは、恐れに満ちた自我の声。
日常の出来事に振り回され、静まらないこの心。

聖霊の手を取り、聖霊の声に耳を澄ませたいと望みながらも、
目を開けるとすぐにそんな望みも忘れ去り、今まで通り自我の声だけを聞いていたと思い返す毎日。


今日もワークを充分にできなかった。
ワークの言葉を少しでも心に留め続けようとしたのに、日中一度も思い出さなかった。
などと自分を責めるような思いになりがちだった。


違った!
ワークに書かれてあることを味わうことが私の目的じゃない。
論理をしっかり理解することが私の目的じゃない。

罪悪感の現れを知覚しなくなることが私の目的じゃない。
心に恐れがなくなることが私の目的じゃない。
私の心から罪悪感や恐れがなくなり、目に見える世界が愛に満たされるようになることが私の目的じゃない。

これらが私の目的だと思っていたから、
そうなれていない自分を見るたびに、がっかりし、ダメ出しし、
早くそうなりたいと焦りにも似た思いに駆られていた。

違う!
私の目的は、
神が、この肉体を持った私に意志していることは、
赦しをすることだ。
罪悪感や恐れの投影を見つけて赦しをしていくことだ!

それなら、私はもうその役割を担っている。
まだ、じゃない。
少しずつだけど、もうその役割を担っているんだ!

この目に罪悪感の投影を知覚していい。
この目に恐れの現れを知覚していい。
知覚するから赦しができる。


なんという解放感!
罪悪感の投影を見てがっかりしなくていい。
罪悪感の投影を見たら、喜んでいい。
宝物を見つけた子供のように、みーっけ!と言って赦しをすればいい。

記事内容を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!