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奇跡講座WB実践253 私の自己は、宇宙の支配者である

第二部
4 罪とは何か
レッスン253
私の自己は、宇宙の支配者である。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


この世界でこの体の目に見えていることはすべて、
私が望んでいることに違いない。

争いや病気や環境不安を私が望んでいるだろうか?
そうは思えない。

だけど確かに私のこの目に映ることは、私が望んでいることだろう。


私は私の罪を信じている。
神に罪を犯してしまったと信じている。
そのとてつもない罪悪感を抱えている。

だから私はその報いを受けなければならないと信じている。
私は幸せになってはいけない。
私は見下され、否定されなければならない。
私は非難されなければならない。
私は愛されてはならない。
私は苦しまなければならない。
私は悩まなければならない。
私は恐れ、心配し、安心してはならない。

その思いが世界のあらゆる出来事として投影されている。
この思いが、私の周りで繰り広げられる。
問題は起こり続けなければならない。



真理はこの真逆だ。
ならば私が真理をそれが当然であるように信じれば、
世界は逆転する。



私は罪を犯していない。
ゆえに罪悪感も抱く必要がない。

私は神とともにいて、愛されている。
損失も不足もなく、すべてが満たされている。
世界は愛で満たされ、すべてが与え合う。
神の意志と同じ私の意志は、宇宙を越えてすべてを創造する。



真理に対して、この肉体を持つ私は抵抗している。
この抵抗や罪悪感を取り除くことができるのは、
すべてが見えている聖霊だ。

私にはこの抵抗がどこにあるのかわからない。
罪悪感がどこにあるのかわからない。
抵抗している意識もなければ罪悪感を持っている意識もない。
だから私にはこれらを取り除くことはできない。
これらを修正することもできない。

聖霊にはできる。
だから聖霊に私が見つけた私の抵抗を、私の罪悪感を差し出す。
そして赦しによって、それらを取り除いてもらう。
修正してもらう。



問題を自分で解決するよう信じ込んできた私には、
まずこれが自分ではできないのだということをしっかり受け入れることが必要だ。

もうできたんじゃないかって思うことは何度もあった。
その後また困難があって、できてないことに気づくことを繰り返している。
未だに自力でできると信じているところがあるようだ。
聖霊に明け渡したつもりで、しっかり自分で抱え込んでいる。

聖霊はそんな私に失望しない。
聖霊は決して諦めない。投げ出さない。
むしろ聖霊はとても優しく、私の好みを踏まえて導いてくれている。
一歩、一歩。
いつも共にいてくれている。

神は私がどんな風であろうと関係なく私に愛を差し出している。
神はいつでも開いている。

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