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奇跡講座WB実践247 赦しがなければ、私は見えないままである

第二部
3 世界とは何か
レッスン247
赦しがなければ、私は見えないままである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


私は私の罪を見ている。
だから苦しい。苦しさを知覚する出来事を目撃する。

私自身の体の痛み。
頭痛、吐き気、じんましん、むくみ、疲れ。
人の病気、怪我、悩み、争い、危険、老い・・・。


真実は、私は罪を犯していない。犯すことができない。
私は神の一部だ。
神のなかで罪を犯すことなどできない。
私は無罪だ。
だから罪悪感も必要ない。
すべての苦しみを負うことは一切ない。

私が神の一部なら、
すべての人も神の一部だ。


だけど私はまだそのように見たくないと抵抗している。
私に罪がないなど信じられないと言い張っている。
神に罰せられるから、この世界で神から隠れていようと決断している。


この世界は恐れの世界だ。
すべては流転する。
ひとつも保持されることはない。
あるものは失われ、守ろうとすれば消え去る。


ただひとつあるもの。
けして失わないもの。
それが神が私に与えてくれた、赦し。

どんなに抵抗していても、
どんなに悪態をついていても、
私から奪われることはないのが、赦し。

神が私に与えてくれた救い。

赦しによって聖霊が私から抵抗を取り去ってくれる。
赦しによって聖霊が私の間違った信念を修正してくれる。


赦しをしてるけれど、
自我を選んでいる自分に気づくとき、
赦しをしているけれど、
キリストの心眼で見る決断を投げ捨てていることに気づくとき、
赦しをしているけれど、
兄弟を同じ神の子だという意識でどうしても見れないことに気づくとき、

それでもなお、
私は意志する。
ほんのかすかな意志だけど、
吹けば飛んでいきそうな意志かもしれないけれど、

それでも意志しよう。
私はキリストの心眼で世界を見る。
私と神とはひとつであり、私と兄弟はひとつであることを受け入れる。


そう意志して、赦しをしよう。

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