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今のあなたを支える1つの信念・私は〜〜する神であり内なる存在は〜〜する神である

《Ruruの体験》良いことも悪いことも万事良好

良いことはいいよ。
悪いことがいいの?なんで?

良くないことは起こってほしくない。
嫌なことは経験したくない。

そう思うのは普通のこと。
私も起こってほしくないことは起こってほしくない。


でも思い返してみた時、
起こってほしくないことが起こったから、
気づけたことがたくさんある。
わかったことがたくさんある。


忙しさに文字通り心を亡くし、
笑うことすらできなくなってしまった時、
自分が何が好きなのか、
どんな服が着たいのか、
何を食べたいのか、
どんな人となら一緒にいられるのか、
すべてが分からなくなった。
何もわからなくなった。

犬や猫を見ても、
花を見ても、
なんの感情も動かなくなった。

この私が!!!
このわきゃわきゃと感情豊かなこの私が!!(笑)

これは一大事。
人生真っ暗。


でもこういう経験をして
私は、
認めてほしかった
ただ愛してほしかった
それを生まれてからずっと求めてた
ということに気がついた。

このことを認めるのに、
また少し時間が必要だったけど、
認めたらスッと楽になった。

そしてだんだんと、
自分がしたいこと、したくないことに敏感に気づくようになった。
好きなこと、嫌いなことにも敏感に気づくようになっていった。


一歩ずつ一歩ずつ
一つずつ一つずつ
コントラストがある度に
経験になり、練習になり
そしてどんどん自由になっていく。


昨日またコントラストが発生!!
一見窮地に追い込まれたように見えるけど
このことがより良いことになるって思えてる自分がいる。

感情的にはまだ落ちたりもするけど、
それでも1ヶ月前よりずっといい。
3ヶ月前よりかなりいい。


すべて万事良好。
すべては本当にうまくいってるんだよ。

《Linpの解説》


自分の身に起こって欲しいことと、起こって欲しくないこと。

人生にはその2つの経験があります。

しかし、その2つの経験をもっと高い視点から見て見ると実は1つの物差しの端と端にあるものとして認識できます。

自分の身に起こっても起こらなくても構わないもの、別になんとも思わない出来事ですら、その経験という物差しの間のどこかに位置するのです。

この全体像を知ることはとても大切で、1つの経験という事象をどの視点から見るかがその出来事を良くも悪くも見せてしまうからです。

起こって欲しい出来事は、それを考えるだけでワクワクするし、目の前の現実として現れればそれ以上の喜びや達成感を味わえます。

逆に起こって欲しくない出来事は、それを考えるだけで不安になるし、目の前の現実として現れればそれ以上にストレスや怒りを感じ、また絶望を味わうことも時にはあるでしょう。

全く同じ出来事であっても、それを経験する人が違えばその経験から得る感情もまったく異なるのです。

ではなぜ人は、自分にとってその出来事に対して心配したり、不安になったり、また恐れたり、罪悪感を抱いたりするという苦悩の感情を味わうのでしょうか。

それは、あなたの内側にあなたの思考を支える1つの信念があるからです。

その信念の源は、「恐れ」です。

この恐れという感情を基盤にして、あなたはすべての行為活動を行い、これまでのあなたの肉体維持を図ったり、取り巻く環境を維持してきたのです。

つまり、恐れを基盤にした行為活動を通して、あなたは人生をより快適に、
またより良い環境へと自身を導いてきたのです。

他人から見下されないために

他人から非難されないために

他人から嫌われないために

この他人から傷付けられないためにという恐れの信念を用いながらある時は何かを手に入れ獲得しようと躍起になってきたのです。

しかし、その手に入れた今の環境や地位や名誉といったものですら、今度は失う恐れや他人から奪われないように、誤解されないようにと疑心暗鬼になりながら細心の注意を払ってまた努力するのです。

常に上を目指さなければならない不安や焦りと失うことの恐れ。

この恐れからは逃れようとしても逃れられません。

逃げれば逃げるほどその勢いを増してあなたを追いかけてくるのです。

宇宙の法則である引き寄せの法則がそう働くのです。

あなたの信念にある恐れがまた次の不安や恐れを招き寄せるのです。

これまであなたが信じてきたこの恐れからの対処法はきっと以下のようないずれかではないでしょうか。

外側にあなたが創造した恐れの対象に対して、同じエネルギーで立ち向かう、つまり攻撃して排除するか、逃げる、立ち去るかのどちらかということです。

しかし、このような対処法では絶対的な安心感は得られないのです。

先ほども言ったように、引き寄せの法則がそうさせてはくれないのです。

あなたの内側にあるものが、外側の世界に現れるのです。

あなたの波動(恐れの感情)と同じようなものを引き寄せるのです。

「ただただ存在することの大いなる価値」というものを見い出せないでいると人は傷つくことを恐れるのです。

他人から拒絶されること、無視されることを非常に恐れるのです。

しかし、存在が傷つくことは在りません。

ここでいう存在とは、もう一人の非物質的なあなたである、内なる存在やハイヤーセルフ、ソースのことです。

この愛そのものである存在は愛ではないもの、つまり不安や恐れや罪悪感、怒りや嫉妬で人をその正しさで裁いたり、非難したりする存在であったことがないので外側の世界に同じ恐れの対象を生み出すこともないのです。

被害者も加害者もそこには存在し得ません。

肉体を持ったあなたも内なる存在やハイヤーセルフ、ソースと同じようにすべての人や出来事に愛を持って示せば恐れる必要はないのです。

あなたの中のその愛が、目の前の嫌な人や起こって欲しくない出来事の中から愛や光の部分をあなたが引き出すのです。

あなたの波動が変わったから、またあなたの見る視点が高くなったから引き寄せの法則により、同じものをあなたに見せるのです。

人に愛を持てなくなるのは、あなたが傷ついているからです。

あなたが拒絶された、または非難されたと判断したその相手は、単に自分がこれ以上傷つかないように防衛しているか、すでに傷ついてしまった心を癒そうとして、そのような態度をとっているに過ぎないのです。

あなたがあなた自身を裁いて縛り付けているのです。

私はまだできていない

私はまだまだ足りない

といった、自分自身に課す厳しいジャッジが愛の存在の波動と一致しないのです。

もう一人のあなたという内なる存在やハイヤーセルフ、またソースはあなたがどんな感情による波動でどんな行為を行っても、その愛の立ち位置から1度となく離れることはありません。

つまり、あなたが過去にどんなことをしてしまっても、今どんなにネガティブな思考に振り回されていようとも、そのすべての経験を高く評価し、また感謝しているのです。

これが無条件の愛というものです。

条件付きで人を愛することが一切ないということです。

あなたが不安や恐れの感情を抱く原因は、この内なる存在やハイヤーセルフ、またソースと違った見方をしているせいです。

そのネガティブな感情すらも愛の存在は愛で包み込んでくれるのです。

しかし、愛の存在は、愛の存在であるが故に経験というものができません。

そこで自分をあえて分離し波動を落とすことで、私たちは物質世界に住めるような肉体を持つことができるようになったのです。

私たちは愛の存在の一部です。

すべての人がそうなのです。

人だけではなく森羅万象すべてが愛の存在の一部なのです。

愛の存在は観察する神であり、私たちは経験する神です。

この両者が一体となりこの宇宙はまた拡大成長するのです。

すべての人、すべての物事を通じて共同創造しているのです。

ここにあなたの敵は存在しません。

敵に見えるような役割を持った人、悪と思える出来事があるだけです。

このお互いの役割を通じて経験し、学び、新たな望みをまた明確にしていくのです。

あなたは愛の存在です。

今でもそれはなんら変わりません。

愛の存在は傷つかないし、傷つける対象も生み出しません。

円満であるがゆえに、引き寄せの法則は円満な世界を創造するのです。

あなたがこのことを思い出すまで、愛の存在の導きは止まらないのです。

すべては万事良好。

すべてはうまくいっています。

それがどんな出来事であったとしても・・・


<メンター Linp>

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