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奇跡講座WB実践356 病気とは罪の別名である。癒しとは神の別名である。だから、奇跡は神への呼びかけである

第二部
14 私とは何か
レッスン356
病気とは罪の別名である。癒しとは神の別名である。だから、奇跡は神への呼びかけである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


ここ数日体が楽になっていることに気づいく。
指も手首も腕も脚も痛みが緩んでいる。
ちょっとだけ楽。
さらには今だかつてないほど腸が元気。

ちょっといい感じかな?
もしかして?

こう思いがちだった今まで。

キリストと一体となる。
真の私になる。
神とひとつであることを受け入れる。
そうするときっと体の苦しみから脱することができるんだ、
恐れることもなくなるんだ、
体の不調はなくなっていくんだ。

などと、自分で勝手にゴールを決めていた。

救済されるとすべてうまくいくに違いない。
救済されると困ることが何もなくなるに違いない。


でもそれは全然違うんだろうなと思う。
そういうことじゃないんだろうと思う。


救済されるということがどういうことなのか。
世界はどう見えるのか。

それは私にはわからない。

わからなくていい。
真の私は知っている。
聖霊は知っている。
イエスは知っている。
ゴールはイエスが、聖霊が、真の私が知っている。

だから自我である私はわからなくていい。


なにがうまくいってる証拠で、
なにが間違ってる証拠なのかも
私にはまったくわからないのだから。


きっと私が考えることは違っていると思う。

ただ赦しをする。
とにかく赦しをする。

それでいい。
私がする赦しは、神の意志だから。
私は必ず救済される。
世界は必ず救済される。
救済はもう完了している。

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