奇跡講座WB実践345 私は今日、奇跡だけを与える。奇跡が私のもとに戻ってきてほしいからである
今朝も気分は晴れないまま一日が始まった。
そう願う。
真の赦しをする。
真の赦しをするのが私が与えられている機能なんだから。
今日はここ数日の精神的な疲れがピークに溜まったようだった。
いつも誰かについての不満を口にする人。
その人の不満いろいろな人について話され、
ついにはその人にとって協力的なメンバーであろう人にも向けられた。
もう聞いていたくない。
疲れる。
聞いていたくない。
聞いていたくない?
今日も分離の聞き方、見方しかしていない。
ああ、私はこんなにも分離していたいんだ。
心眼で見たいと願っているけれど、
心眼でなど見たくない、見るもんかと言っている自我がいる。
奇跡を受けとりたいと願いながら、奇跡などいらないと言い張っている自我がいる。
私はその自我に同一化している。
いま、自我に同一化しているんだ。
それを見た。
ここにこそ赦しをしなければ。
ここを聖霊に取り去ってもらわなければ。
分離していたいのは罪を犯したと信じ込んでいるから。
神の元に帰りたくないのは至大な罪悪感がまだ厳然としてここにあるから。
ちょっと調子がいいとすぐ、”わかった”と思ってしまう。
真に今にいることを疎かにしてしまう。
そして大事な赦しが必要である機会を見逃してしまう。
私は真の赦しをするんだ。
この世界にいる限り、ずっといつでも真の赦しをする。
私はなにもわかっていない。
なにもわかっていないということを大切に胸に置いておこう。
知識など救済にならない。
真の赦しこそ世界の救済なんだ。
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