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奇跡講座WB実践357 真理は、神に対する私たちの呼びかけの一つひとつに応える。はじめは奇跡によって応え、その後、真理そのものとして私たちに戻ってくる

第二部
14 私とは何か
レッスン357
真理は、神に対する私たちの呼びかけの一つひとつに応える。はじめは奇跡によって応え、その後、真理そのものとして私たちに戻ってくる。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


357日。
奇跡講座のワークを一日にひとつずつ取り組み、357日目。
その前に数ヵ月でワークをざーっとやった日も入れると、440日ほどかもしれない。

私はない。実在していない。人もいない。
それがどういうことか、ワークをざーっと流した数ヵ月ではまったくわからなかった。
一日にひとつずつ取り組み始めた頃もよくわからないままに、
赦しの意味や目的、そのやり方すらよくわからないままに、
赤ちゃんが言葉にならない言葉を発するように、赦しをし続けていた。
真理を知りたい。真理を得たい。
それだけを願いながら。


今も私が受け取っている赦しの形が、実践していると思っている赦しの仕方が正しいのかどうか、私にはわからない。
今、神とひとつである私への道をまっすぐ歩いているのか、
はたまた逸れているのか、私にはわからない。
その道がどのような道かもわかっていないから。


ただ赦しをすること。
それが私のなすべきことであると受け取っている。
他にできることはなにもないのだと思っている。

赦しを続けてきて、知らぬ間に私の抵抗が外れてきている。
私も人も実在していないということ、この世界は幻想であること、この世界で知覚することはすべて私の投影であることを、本当にそうだと思う。

赦しを続けてきて、人々の私に対する反応が変わったように感じる。明らかに攻撃してくるように見える人はいない。
そこに多少の愛が垣間見える。


それでも私はまだ神を恐れている。
私はまだ抵抗している。

過去の実在性を信じ、その記憶からなにも起きていないのに勝手に恐れている。
またあの反応をされるんじゃないか。
またなにか言われるんじゃないか。
機嫌が悪くなるんじゃないか。

まだこの体が私のものだと信じている。
この肉体に執着している。
この肉体以外は私とは別の実在する存在だと見ている。


私は神を恐れている。
愛の神を恐れている。
神へ罪を犯したと信じている。
深い罪悪感を抱えている。
兄弟を私自身だとはまったく見れないでいる。

私はまだまだ赦しをしていく必要がある。
この世界で知覚する私の罪悪感の投影について、
ひとつひとつ赦していく必要がある。


私は赦していくことができる。
赦し続けることができる。

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