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奇跡講座WB実践119 復習107、108

第一部
レッスン119 復習(レッスン107、108)
107 真理は、私の心の中のすべての誤りを訂正する。
108 与えることと受け取ることは、真理のおいてはひとつである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワーク


人間関係における”問題”に見えるような出来事は、
最近あまり感じなくなってきた。
人によっては大変だと思うようなことも、
大変だとはあまり感じず、それなりに楽しく感じている。

そのせいか、実はあまり日常においてこのワークを意識できていないと感じている。
心の強い動揺を感じて、一生懸命赦しをするということがないからかもしれない。
多少の動揺を感じて、ふわっと赦しをすることはある。

最近の動揺は金銭面によく出てくる。
だから金銭面の動揺を感じたときには、誤った信念を取り去ってもらうようお願いし、真に見せてくださいと願っている。

そして真理からその動揺や金銭的な問題について考え直してみる。

頭ではそういう目に映る物質的なことをもう求めない。
それらについての信念、経験、記憶をすべて取り去ってください、などと祈るけれど、
それが私の本心かと言われれば、まだ心からのものではないなと感じる。
そのこともそのまま認め、本心からのものではないけれど、
本心からこのように願いたいと聖霊に話す。
そして聖霊を信頼して手放す。



ワークの一回目は、一日に10のワークを一気にしたりしていた。それができるほど、私はなにも理解してはいなかったんだなと思う。
そんな感じでやったワークだったけど、
奇跡のコースに対してすごくあった抵抗感が、少しずつ薄れていくのを感じていた。

今二回目のワークをしている。
今回は一日に1つのワーク。
ワークブックは奇跡のコースではなく、奇跡講座のほうでやっている。私にはその方が理解できそうだと感じたから。
今日で119。三ヶ月弱やってきた。
ひとつひとつのワークが深すぎて、一日に1つ以上とてもできないと感じる。
そして起きている出来事の見方ががらりと変わってきているのを感じる。

一回目のワークの仕方も私にとってはいい経験になっている。
そして二回目をすることで、この両方の経験をシェアできる。

本当にそうだ!と思ったことしか話せないから、
こうして一見無駄に見える経験も私にとっては貴重な経験だ。

もちろん奇跡講座にたどり着く前のさまざまな経験も貴重な経験だ。
それがあるからこそ、今それらを経験している人の気持ちがわかるし、それらはどれひとつとっても間違いということはないということもわかる。

真理への道は無数にある。
ひとりひとりオリジナルの道を聖霊の導きで歩いている。
聖霊に導かれていると気づかずに。
場合によっては奇跡講座を通りすぎていく人もいる。
それもまたいい。
どのようなルートであっても、必ず救済される。
なぜならもう救済は終わっているからだ。

すべての人が救済される。
なぜなら、すべての人がひとりの神の子だから。

胴も手も顔も救済されているのに、足だけ救済されないということはあり得ない。


私が真に見ること。
真の私で見ること。
真の私でいること。

それが神の救済計画における私の役割だ。
他には何をする必要もない。

ただ真であることが、もっとも強力な救済だ。

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