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奇跡講座WB実践233 私は今日、自分の生活を神の導きにゆだねる

第二部
2 救済とは何か
レッスン233
私は今日、自分の生活を神の導きにゆだねる。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


自我の渦に飲み込まれていたいという思いがある。

  聖霊よ、どうかこの心を取り去ってください。

自我の渦の中は心地よく思える。
温く、柔らかく感じる。
それは泡沫。飲み込まれた瞬間の。
その心地よさはすぐに泡と消え、淀みのみが残る。

それを何度も何度も
何千回も何万回も、何億回も、
繰り返してきて、もうきりがないことも思い知っているはず。


なのに。
なのに。。。
私はまだそこにしがみついていたいのか。


もうどうしようもない。
本当にどうしようもない。

だからこそ、聖霊により頼むことが必要なのに。
聖霊により頼める恩寵が与えられているというのに。

私はまだ背を向けていたいのか。



まったく神の導きにゆだねていない私が、ここにいる。




今まで頑張ってきたのは
今まで痛みも苦しみも真っ向から受け止めながら、
必死に真理を求めて来た道はーーー


投げ出したくはない。
ここまできて、真に向き合うことから逃げ戻っていく人も多いという話も聞いている。

私は逃げ出したくはない。
真の私でいたい。
神の愛の中にへ還りたい。


でもなんともならないと思えるこの状況。

イライラなんてしたくない。
投影なんだと、本当に投影なんだと受け止めたい。
何も、何一つ起きてないと受け取りたい。
だけど、イライラしてしまう私がいる。
思い出すだけでイライラする私がいる。


罪悪感を握りしめていたいのか・・・


静かに
静かに

静まれ
静まれ


ここまで赦しをしてきて、罪悪感の一部が取り除かれた証が現れた。
2年前に手放すしかなかった猫たち。
我が子のように思ってきた猫たち。

一頭の猫だけが行き先が確定しなかった。
その子を思うと、申し訳ない思いが湧いていた。
行き先が決まった子達についても、以前撮った写真を見ると
本当にごめんねという思いが湧いて切なさに胸が苦しくなった。

それも罪悪感の現れ。
私はその苦しみ悲しみを受けて当然のことをしでかしたんだと信じていたから、それが私の前に現れ、動揺を繰り返していた。

その最後の一頭の子の新しい家族が、数日前に確定した。
彼は子猫のように安心した、幸せな顔をしていた。

切なさを少し感じたけれど、嬉しかった。
よかった。安心できる愛される場所が見つかったんだね。



今までやってきたことが、何の意味もなかったと、
自我は思わせようとする。

違う。
確実に私は神への道を歩んでいる。
聖霊の声のほうへ躓きながらも歩いている。

聖霊は私を見捨てない。
聖霊はあきらめない。
聖霊は失望しない。


神の導きにゆだねたい。

もう一度、もう一度決断しよう。
私はイライラに囚われない。
イライラを知覚したら赦しをする。
私は私の無罪性を見る。
攻撃性を取り除いてもらう。
神の導きに従う。
聖霊の声に耳をすます。
神の導きに、私の生活のすべてを差し出す。

これらを私は意志する。



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