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奇跡講座WB実践 エピローグ
エピローグ
そして今、私はあなたを聖霊の手に委ねる。そうしてあなたは聖霊に忠実に従う者となり、聖霊を導き手として、実在するかに思えるすべての困難や苦痛を通り抜けていく者となる。永遠なるものと善きものだけを与える聖霊は、すぐに消え去るような喜びをあなたに与えはしない。聖霊によって、あなたの準備をさらに整えてもらおう。聖霊はあなたの父や兄弟や一なる自己のことを毎日あなたに語ることにより、あなたの信頼を獲得した。聖霊はこれからもそれを続けるだろう。今やあなたは聖霊とともに歩んでいる。自分の行き先や進み方について聖霊と同じように確信を抱き、自分の目指すゴールについても、自分が最後には必ずそこに無事に到着することにも、聖霊と同じように自信をもっている。
会ったとたん愚痴を話してきたあなた。
うんうんと聞きながら、あなたの罪悪感の大きさに気づいた。
あなたの話に出てきたその人の罪悪感の大きさにも気づいた。
そして私の罪悪感も見た。
私と彼女とその人との罪悪感を取り去ってください。
そう聖霊に祈りながら話を聞いていた。
昨日イライラした人の話をしたいという思いが湧いた。
でもそれって分離で見ているってこと。
そう思ったから、私の罪悪感を取り去ってくださいと聖霊に祈り、いったんはこの話をしたい思いが去った。
でも話したい思いは数分後にまた湧いてきた。
また聖霊に祈った。
去った。
そのまた数分後に湧いてきた。
うー。。。話したい!
話してしまえ!
話してしまった。
私の罪悪感、イライラした人の罪悪感、聞いてくれた人の罪悪感、を強めてしまったなぁ。。
ふぅ、、、
赦しをした。
私は私の赦しをするのだと思ってきた。
でも私の赦しと彼女の赦しは同じだ。
私の赦しと彼らの赦しはおんなじだ!
ああ、私の赦しと思ってきたものは、私たちの赦しなんだ。
夕方歩いているときにふとこのことが浮かんできた。
これが本当にそうなのか、自我が勝手にそう思わせているのか、
今の私にははっきり区別がつかない。
聖霊に願った。
この思いが間違いなら、間違いだということを教えて。
この思いがあなたからのものなら、これを確信できるようもう一度この思いを経験させてください。
私のすることは私の赦しだと思っていた。
すべて私の投影なんだから、私の赦しをし、私の心から罪悪感が去り無罪性を受け入れたなら、私の目には赦しが必要なことは映らないだろうと思っていたから。
それはそうなんだけど、
きっとそれじゃあ遅いんだろう。
彼の罪悪感の現れは彼のものであって、私には関係ないように思っていたのかもしれない。
それこそ分離の見方だ。
彼の罪悪感も私の罪悪感。
私たちは分離していないひとつなのだから。
だから私は知覚したすべての罪悪感に赦しをしていくんだ。
遠い世界で起きているように聞こえるものも、
私とは関係のないところで起きているように思えることも、
すべてひとつ。
すべてひとつのものすごく大きな大きな罪悪感。
こんな巨大な罪悪感に赦しをしていくなんて、
この世界のすべてに赦しをしていくなんて、
果てしなく思える。
自分の赦しでも精一杯なのに、彼らの間のことも赦しをするなんて、罪悪感で溢れているところに1滴の水滴が落ちても、すぐに罪悪感に飲み込まれてしまうんじゃないかと思える。
だけど私は聖霊を信頼する。
神を、イエスを信頼する。
私たちからこの罪悪感を取り去る神の救済はすでに完了しているのだから。
今日で奇跡講座のワークブックはすべて完了した。
でも今日からが新たなスタートだ。
世界の救済のために、私はすべての罪悪感に赦しをしていこう。
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