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奇跡講座WB実践319 私は世界の救済のために来た

第二部
10 最後の審判とは何か
レッスン319
私は世界の救済のために来た。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


ひとりが得るものはすべての人に与えられるということを私が学ぶことが、神の意志である。

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私の目に映り、耳に入ってくる言葉は、
これとは逆のことばかりだ。

お金のことばかりを言う人。
自分のほうがたくさん仕事をしているのに、仕事が遅い人と同じ給料だということに文句を言っている。
昇給がないことに不満を言っている。

自分の負担のことばかりを言う人。
自分に負担が降りかかると思うと、たいへんだ、たいへんだと繰り返す。
どれだけたいへんだったかをずっと話している。

自分が得られないということは人が得しているんだ。
自分だけが特にたいへんで、みんなはそうでもないんだ。


こういうことが耳に入ってくるということは、
私がそれを信じているに違いない。
私の罪悪感が、私は人一倍犠牲を払う必要があると信じているのだろう。
この罪悪感に赦しをする。
取り去ってもらう。


でもちょっと考えてみる。
私が赦しをすることで罪悪感が取り去られて、
みんなから心配がなくなるなら、

あの人から心配がなくなるのはとてもいい。
この人が笑顔でいれるようになるのはとても嬉しい。
でも、
あの人が安穏としてるのはちょっと嫌だ。
この人が笑顔になるのは、、、あまり嬉しくない。

そういう思いが私の中にある。


自我は、ひとりが得るものは、必ず全体から失われると考えている。

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私は自我の考えを好ましく思ってる・・・

私は傲慢であるらしい。
私はまだ自分がうまくできると思っている。
聖霊の導きに従わずとも、神のもとに帰ろうと思えば帰れると思っている。
イエスに頼らずとも、うまくやれると思っている。
神のもとに帰らずとも、私は幸せを見つけられると思っている。
この世界だって悪くないと思っている。

私は傲慢なんだ。
この傲慢さをこそ、赦そう。
傲慢さを聖霊に取り去ってもらわなければ。
傲慢さが真理がやってくるのを妨げている。

傲慢さが去り、真理がやってくれば、
真理はすべての人に与えられ、世界は救われるんだ。


今日も心で涙を流して赦しをする。

助けて、イエス。

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