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奇跡講座WB実践257 私の目的が何であるかを、思い出せますように

第二部
4 罪とは何か
レッスン257
私の目的が何であるかを、思い出せますように。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


今日のワークの内容には一文わからないところがあった。


自分のゴールを忘れるなら、私は混乱するしかない。自分が誰なのか確信できず、行為も矛盾したものになる。対立したゴールに仕えながら、どちらにもうまく仕えることはできない。また、深い苦悩や憂鬱を感じずに機能することはできない。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


自分のゴールを完全に忘れ見失っていた私は、確かに混乱していた。自分が誰なのか、知らなかった。言うことやることなすこと矛盾していた。

奇跡講座に出会ってワークを始めてもなお、
神の声を聞きたい、聖霊に従うと言いながら、
がっつり自我と結託し、真理に抵抗し、受け入れたくないとつっぱねている。

「深い苦悩や憂鬱を感じずに機能することはできない」

これがわからない。
何度読み返してもわからない。
機能するとは、神の意志を果たす役割を担うことだと理解していた。
それは私の有罪性について、罪悪感について赦しをすること。
そしてすべての人を神の子だと見ること。私自身と同じ神の子だとみること。
そう思っていた。

それが深い苦悩や憂鬱を感じずに機能することはできない、とは?


Linpに聞くと、
「感じずに」の解釈をそのまま読めば、私のように読み取り意味がわからなくなるんじゃないか。
見方を変えると、深い苦悩や憂鬱が存在するように見ている間は機能できないっていう意味なんじゃないか。
と言っていた。

見方を変えた場合の解釈ならそうだなと思えるけれど、
いくら見方を変えて考えてみようとしても、この文からはそのように読み取ることはできないように感じた。

Linpは続けていった。
たぶんそれだけ自分が真理を受け取りたくないんだろうね。


そんな風には読めない、そんな風には思えないというのも抵抗なんだ。
私がそう受け取りたくないから、そのように読めないのだ。
この文章が間違っているということじゃない。
書き方がもっと直球なら、分かりやすく書いてあったら・・・なんてよく思っちゃうけど、そういうことじゃない。
私が真理を受け取りたくないんだ。


この抵抗について赦しをする。


すべてが赦しの機会だ。
全部の原因は私自身のなかにある。


私は私の皮膚の内側だけが私だと思っている。
私の皮膚の外側は、私だとは思えていない。

小学生の頃から感じていた疑問だ。
なぜ私の内側のことだけ”わたし”のことだと感じているんだろう。
私以外のことは他人事で、”わたし”には関係ないと思えるのに、
私の内側のことだけ、どう言われるか、どう見られるか、それは痛いのか、苦しいのかをすごく気にしてるんだろう。

私は今現在、こんなにも自我の思いに引っ付いている。
私の皮膚の外側は私とは分離した存在だとしか思えていない。
私のことは特別で、私は私のことを一番守りたいと思っている。
これはまさに自我の見方だ。自我の思考だ。

ここに赦しをしていこう。

私の目的は神のもとに還ること。
キリストの見方を私の見方とすることだ。

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