見出し画像

ドラマ『カルテット』と続く道

前回の更新から早3ヶ月経ちました。

個展が終わった後、少しの燃え尽きた感と目標喪失、それからコロナ禍の不安定さに無気力な日々を過ごしていたら、あっという間に春が終わりました。

さて、今年のGWも大っぴらに出かけられず、自分の生活範囲内でできる楽しいことはなんだろうと考えた挙句、以前から気になっていたドラマを何本か一気に見るという特に目新しさのない時間の使い方をしました。

その中で特に印象が残ったのが『カルテット』です。

このドラマの放映は2017年1〜3月。放映時は話題になっていたようですが、私は当時、日本におらず「いつか機会があったら観よう」と思いながら4年後にようやく実現したというわけです。

ドラマは評判通り秀逸でした。そして、素晴らしいドラマを見たという感覚以上の感情、形容しがたい感情を抱いたのでそれを残したいと思い、久々のnote更新となりました。

さて「カルテット」。主人公4人は弦楽器の音楽家で、とあるきっけかからカルテットを結成、大きなホールでの演奏会を夢見ます。彼らは演奏家としての夢を捨てきれないアマチュア音楽家です。

=少しネタバレがあるのでストーリーを知りたくない方はお気をつけください=

物語がラストに向かう中、彼らの演奏を聴いたお客さん(元演奏家で音楽を諦めた人という設定)から「なぜ才能がないのに音楽を続けるのか。あなたたちの音楽は価値も意味もないものだ。」という手紙を受け取ります(手紙の内容は記憶ベースなのであしからず)。

また別のシーンでは、主人公の一人がこんな台詞を言います。

「好きなことを趣味にするのか。夢にするのか。趣味にしたら幸せだけど、夢にしたら泥沼。」

ああ、痛いほど分かる。わかりみが深い、深すぎる。

私はその泥沼に嵌まりつつあるだろうか…

そんな不安がよぎりました。

見ず知らずの人から酷評されることの不快さも、とても他人事とは思えません。

そう、このドラマを観たことで、私は主人公に自分の姿を重ねました。そして、自分の才能ともう一度向き合えと言われたように感じ、私はとても重苦しい気持ちになったのです。

虚構を通して現実を見ろと、何かを突きつけられた気がしました。

この数ヶ月間、なんとなく作品制作に気持ちが向かなかった私は、これをきっかけにいっそう深い闇にのまれてしまったのです。

でも、ドラマの中の彼らは最後に、自分たちの音楽が届く人のために彼らの音楽を奏でました。

それは私にとっても希望でした。

趣味だろうと夢だろうと、信じてやり続けることで希望の光が見えると、そう思うしかないのです。

自分で選んだことに責任をもって楽しくやろうと、結局いつものような結論に達して、少しづつ前を向き始める今日このごろです。

そもそも才能って、なんだろう。

誰が基準を決めるものなんだろう。

いろいろ好き勝手に解釈したので最後に改めて書きました、ドラマはほんとにおもしろかったです。またそのうちイッキ見したいくらいに。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?