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生まれつき障害があるということ〜イベントレポート〜

2021/08/28(土)  20時-22時開催

【ゲスト名】

◆鈴木 信行さん(のぶさん) 
◆森田 かずよさん(かずっぺさん)

【コミュニティ概要】

「医療学生が患者さんやご家族の想いを未来へ繋ぎ、笑顔の花を咲かせる」をコンセプトに活動。患者さんとご家族のリアルな声を医療学生が届けること。を軸にイベントを開催している。ターゲットは主にがんと難治性疾患の患者と患者家族。コミュニティ内では、イベントで携わった疾患テーマをもとに「クリニカルラーニング」という勉強会も実施。

↓ 詳細はコチラの記事にて🌼

【イベント要約】

今回は《二分脊椎症》をテーマとして取り上げ、以下の5つの項目ごとにモデレーターとゲストによる対談形式で実施。

自己紹介 病気発覚と経緯 闘病中の体験談 

現在の活動 伝えたいこと

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自己紹介

お二人が持つ二分脊椎症の認識についてとても印象深いものがあった。それは、二分脊椎症は先天性疾患であるため、「世間一般的には辛いと思われるが自身は当たり前の感覚になっている」「障害が自分に備わっており、面倒とは思えども負い目はない」という認識。私たちは外見で判断できる病気や障害をお持ちの方に対し自然に「辛そうだなあ」などのネガティブなイメージを抱いてしまう傾向がある。しかし、当人は私たちの想像をはるかに超える前向きな気持ちで病気と向き合っていた。

病気発覚と経緯

お二人とも親の意向で特別支援学校ではなく普通学校へ進学。そこで様々な人間関係や生活の中でのトラブルに遭遇するも、「患者会」をきっかけに仲間の存在を知り、周りとの関わり方を学び、上手く生きられるようになったという。

闘病中の体験談 

お二人とも闘病中には、医療者や自分の病気・障害を知らない一般の方と関わる上で様々な課題に直面したという。「医療者の声かけそのものに違和感を覚える」一方で、敢えて《患者力》という言葉で定義するが、「患者自身もきちんと自分の伝える力を磨く必要がある」「自身の努力なしに、医療者を信頼しないのは違う」という。

現在の活動 

のぶさんは障害とがん患者という立場を生かし、人の出会い(特に、患者と医療者)の場を作り、より良い医療環境を実現することを目的に患医ネット代表として活動されている。かずっぺさんは身体障害を含めて様々な体があることの他、自分の身体をどう表現できるか、お互いの体を探り、五体満足だけが当たり前ではないことを知ってもらうことを目的にダンサーや俳優として活動されている。

伝えたいこと 

学生の皆さんには、

•自分の強みをアピールできる人になってほしい。その強みを記した名刺を作りそれをコンセプトに自信を持って学生生活を送ってほしい。

•『当たり前』を疑い、たくさんの出会いを通して経験を蓄積し色々な価値観と向き合ってほしい。講義で学んだ『当たり前』が患者によって大きく違うことも多いため、そのことを考慮すると医療者としての人生に影響していくと思うという。

【ゲストプロフィール】

◉鈴木信行
1969年生まれ、神奈川出身、東京在住。趣味は旅行で結婚21年目。先天性顕在性二分脊椎だけでなく、20歳で精巣がん、46歳で甲状腺がんに罹患。現在は「患医ねっと」代表として患者と医療者を繋げる活動を行っている。

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◉森田かずよ
1977年生まれ、大阪出身、在住。Performance For People -CONVEY- 主宰。NPO法人ピースポット・ワンフォー理事長。先天性顕在性二分脊椎症(胸髄膜瘤)とともに先天性脊柱後側側弯症もあり、慢性呼吸不全、右足脛骨欠損、右手裂手など多数の症状をもっている。現在は俳優・ダンサーとして活動中であり、パラリンピック開会式にも出演。

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【対談内容】

①自己紹介
のぶ「開放性、下半身の感覚がない。小指に褥瘡→抗生剤や軟膏をもらう。」

なほ「がんと比べて、二分脊椎症との(気持ち的な)違いは?」

のぶ「二分脊椎は生まれつきのものだから、世間一般的には辛いかもだけど、当たり前に感じている。がんは死に直結だが、二分脊椎は死なないからね。」

のぶ「ここまで開き直れたのは大人になってから」

なほ「(スライドに書籍の写真があるが)客に選ばれる薬局作りはどういう経緯で?」

のぶ「本来の薬局がしっかり機能したらもっと医療が良くなると感じている。」

かずっぺ「開放性の二分脊椎症。キアリ、排泄、感覚障害がある。先天性疾患であることは、自分の障害がそのまま備わっていること。障害というものに負い目はない。大人になるごとに、自分の障害とうまく絡んでいかないといけないが、二分脊椎症を理解してもらうことが難しい。

ようこ「ダンサーさん→障害を持たれているところで、なぜ?」

かずっぺ「普通の女の子がバレエをしたい、みたいな憧れから始めた。大学受験で芸大を目指したが、障害を理由に受けられなかった。初めて、障害者だからという理由で制限を受けたことがショックだった。」


②病気発覚と経緯
のぶ「生まれつきなので、(発覚については)自分は記憶がない。50年前は抗菌剤がない時代で、脳に細菌が回って死んでいく。私は死ぬと言われた。6歳までは多く入院生活。手術を十数回。排泄の問題をどうするかだった。高校生の頃に患者会へ入り、対処法を知った。大学3年生で精巣癌に罹患したことで、二分脊椎への想いは気楽になった。」

なほ「排尿障害や友人関係に悩まれたとあったが?」

のぶ「面倒くさいという表現が正しいかな?他の友達と同じように体育は出来ないし、もどかしさはあった。」

なほ「20歳でがんに罹患。二分脊椎症+がん→もっと落ち込みそうなのに・・・・。」

のぶ「20歳までは二分脊椎症は大変、かわいそうというイメージなどで、惨めだった。精巣癌の方が、抗がん剤や副作用、死ぬかも知れないという感覚を経験したことで、二分脊椎症はたいしたことない?!と気付かされた。」

かずっぺ「私は死ななかった例。髄膜炎の手術もしなかった。二分脊椎症よりも側湾や足の方がシビア。脛骨の欠損があり、1歳で2回手術。3歳で義足を使って歩いた。普通学校か特別支援学校が選択肢だった。母がなんとか普通学校にと。地域では初めて、障害のある子が入学した。いじめもあった。二分脊椎、感覚神経が弱いため、膀胱から腎臓へ戻ることが起こる。尿道へ管を通して排泄する。手術していないから感覚があるが、弱いから出し切れない。肺活量の低下から今は簡易電動車いすを使っている。」

ようこ「思春期の時期がある中で、どうやって立ち直った?」

かずっぺ「私学の女子校でのいじめが激しかった。感覚神経をわざと触れられて激痛。先生の全体への注意が、弱みと捉えられ、いじめに発展した。全部嫌なことではなく、何か別の道があると大丈夫と思えた。2年生のクラス替えで大丈夫になった。」

ようこ「10年前は義足だが、今は?」

かずっぺ「活動はダンス。パフォーマンスをよくするために車椅子へ。荷物や移動を車椅子になったことで、負担軽減で体力温存へ。車椅子はネガティブイメージだが、自分にとっては比較的プラス要素。今の仕事量は車椅子ユーザーになったからこそ得られたこと。」

③闘病中の体験談
のぶ「外見的には障害者だと分かるが、排泄障害は周囲の理解が得られない。体に衝撃があると尿漏れはあり、パッドは当てている。周囲の反応で理解度も分かる。そういうのも含めて楽しめれば良い。当たり前に受け止められる安心感。普通の会話の中でそういう話しができると良い。医療者も共感の投げかけ自体に、違和感がある。

なほ「排泄障害に対して、気軽さがほしい?」

のぶさん「それが良い、世間一般で話したい。疑問に思うなら聞いてくれば良いのに。今のパッドは何使っているの?とか話したい。」

なほ「それぞれの方に合った対応を考えるのが、楽しいけれど難しいですね。」

のぶさん「そこに踏み込めなかったら、医療者はコンピュータで良いじゃんと言われてしまう。」

かずっぺ「9歳よりカテーテル。今も母の手を借りている。処置だけだとやれない、と医療機関はたらい回し。病院に当たる、訪問看護に当たる。最悪は夜間救急。自分の病気障害を知らない人に伝える難しさ。手術をした後に、体力を戻したいところなど、自分の心配と主治医の心配のレベルが異なり、フラストレーションがたまった。向こうは卵巣癌の予測の進め方をしているが、それが私の体では大丈夫?という感じだった。患者力という言葉、すごく勉強になった。

かずっぺ「私は、イレギュラーだと思うが、社会制度の問題でもあり、少しずつ声を上げて積み重ねていくしかない。」

ようこ「コミュニケーションについても医療者と大変だった。こうして欲しいとかあるか?」

かずっぺ「分かってもらう努力をこちらもしないといけない。こっちも努力しないで医療者を信頼しないのは違う。」


―質問タイム
●活動をされているが、原動力はどこから?
 ▽
障害のある人がダンスをする→障害をポジティブに考えられる。文化行政にどう障害のあるモノを関わらせて行くか。障害というものをネガティブイメージあるが、それを卑下して生きて欲しくない、その想いが原動力。


④現在の活動
のぶ「患医ねっとを屋号をもってやっている。人出会いの場を作る。自分がおせっかいおじさんとして作り続ける。障害とがんという立場を活かして活動している。」

なほ「二分脊椎から学ぶ、人との繋がりの大切さのきっかけは?」

のぶ「同じ世界の人との繋がりでは、面白いことは生まれない。いろんなところに横断で入っていく、知らない世界を教えてくれる。もっと出会えると自分も楽しいし、繋がりができ、会話が弾むと嬉しい。」

かずっぺ「五体満足な身体だけが当たり前じゃないことを知ってもらいたい。WSで子どもが私の体を見るとショックを受ける。子どもから四本の指が気持ち悪いという意見があると、じゃあなんで人間の指は五本?どんなことができる?と体に対してのサジェストをしている。もっと拡げられる。」

ようこ「こどもさんへの問いかけ、勉強になった。教えたい、というきっかけは?」

かずっぺ「障害になると教える人が少ない。健常のダンサーより、言葉や体の捉え方は私の方が、少しは気持ちが分かる。《何が》にフォーカスしていく。」

ようこ「モチベーション(?)は?」

かずっぺ「作品の評価、この活動をしてから、自分の体に対して美しいと言ってもらえることが多くなった。障害がある人は、体が美しいと言われることは少ない。障害のある体に自信を持ってほしい。


⑤伝えたいこと
のぶさん「学生のみなさんへ。自分の強みをアピールできる人へ。自分の障害をいかに強みに。自分の強みを客観的に知る。それが友達と《違う》ことが大切。自分の名刺を作って、タイトルを作って欲しい。コンセプトを。そんな学生生活を。」

かずっぺ「二分脊椎症一つとっても違いがある。人それぞれ違う。《当たり前》を疑うことをしてほしい。たくさんのいろんな人と出会ってほしい。

ようこ「伝えたいことが強く感じる。写真は?」

かずっぺ「洋服を着ていないと、これだけ曲がっている体をしている。骨格だけでなく360度自分の体を知りたい→フィギュアを作りたい→今は3Dプリンタはあるが、作家さんと球体人形作家さんと作品を作れた。」


―質問タイム
●のぶさんが、おっしゃった支援制度の落とし穴については?
 ▽
制度だから、適用される人は居るが、ギリギリ入らない人はいる。新型コロナもそうだが、入院できる人と出来ない人がいる。

●他の人との違いを意識する。両親からの影響?両親の真意は?
 ▽
のぶさん:親の言葉が一般的な社会の中で、生かしていくんだ、というのがあるかも。

かずっぺ:母の教育は大きかった。幼少期から、あなたは森田かずよであってそれ以外の何者でもない、と。障害も含めて。いろんな偶然の積み重ねでここにいる。人間としてどう生きるか、を教えられてきた。

●本当に前向き。元々性格?きっかけがあってポジティブに?
 ▽
のぶさん:どちらかというとネガティブ人間。20歳の癌が大きかった。がんに救われた。

かずっぺ:ネガティブに入る時は入る。やるべきことを探した。大人の顔色を見るように育ったから、そういうのも影響しているかも。

【運営の声】

今回はLinks-milの初めてのイベントで、「もっとこうすればよかった!」という反省点や改善点はありましたが、ゲストのお二方からは「スライドを対比させながら話を進めていく方式が初めてで良いと思いました」という感想をいただいたり、参加者の皆様からは「次回以降も是非参加させていただきたい!」とのお声もいただき、運営メンバーだけでなく、ゲスト、参加者皆が楽しめたのではないかと思います。
運営としても、”患者さんへの関わり方”、というより”『人』としての関わり方”を改めて感じ、時間が足りないくらい濃いイベントとなりました。
次回以降のイベントも、今回よりさらにゲストの方々の声を多くの人たちと共有し、クリニカルラーニングでより深く研鑽して発信していきたいと思います。


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