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【バンドマンが語る】なぜMVでは「歩く」のか

MVを13日に発表。ドット絵でのアニメーションがそもそも初めてで、分からないなりにフォームを調整しながら楽しく制作できたかなと思う。制作の様子を配信も行った。こういうのを見せてしまうのは情に訴えているようで本来好きではないので、楽しく制作していることを楽しく伝わるように珍しく配信中にお酒を吸い込みながら作業をした。ドット絵初心者の皆様には是非に落ち葉を動かしてもらいたい。めちゃくちゃ楽だから。

MV発表のツイート前後は発言に困るというのがあって、ただでさえ最悪なことばかり書いているというのにビクビクして「最悪な上、面白くない」状態に陥ることに数年悩んでいる。あっ悩んでるは嘘。んもう~って思ってるくらい。TikTok用に編集したものもアップしなければと思いながらも、人のカバー曲でそこそこ再生回数稼いだ後に自分の曲が滑ったら立ち直れないという自意識が邪魔をする。せんといて~!笑いそうなほどいい曲だけども。

今回のタイトルがマジでしょうもない思考停止バンドマンの琴線に触れる記事っぽいのは冗談なので、あまり素直に受け止めて欲しくないのだが、ともあれMVというのは誰かが歩いている。演奏シーン以外は必ずといっていい。「歩く」という動きが持つシーン感や、それに抱く僅かな期待諸々が音楽映像というものに調和するのかもしれない。作品中、歩いているシーンがあると首尾一貫的な雰囲気も出せるような気もする。流行とはコスパのことをいう。


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