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「ファッション」より「服」が好き。

「ファッション」と聞くと少し身構えてしまいます。一般的には「服飾」と同義として使われるように、身にまとう衣服はもちろん、アクセサリーやバッグ、ヘアメイクも含めて「ファッション」なのかな、と私は思っています。

ちらっと調べてみると、ちゃんとした意味はこんな感じ。

思想、言語、芸術などの無形のものから、衣食住などの生活様式にまで表れる「はやり」のこと。
出典:ファッションとは - コトバンク

大きな意味は「はやり」だったんですね。私が「ファッション」ということばに感じていた、ちょっと敷居を上げてくる感覚。理由はここにあったようです。

「ファッション雑誌」は流行を追うもの

小学生のころからファッション的なものは好きでした。小5~小6は「nicola」を、中1~中2は「Zipper」(今は亡き、、、泣)を毎月読み、実年齢より少しだけ上の世代に向けた雑誌を買うことで粋がっていたのも事実。赤文字系、青文字系、ギャル系など、それぞれテイストは違うものの、基本は流行のブランド、コーデ、メイクを載せるのがファッション雑誌です。

たしかに、可愛い(とされていた)流行ファッションは見ているだけで高揚感が湧くし、流行に乗ることで友達間でのステータスは上がります。

でも、それを追っかける時代はそう長く続かず……。それで、やっと最近気づいてきました。

私、「ファッション」より「服」のほうが好きなんじゃないかな、と。

「ファッション」より「服」

もちろんメイクもヘアスタイルもアクセサリーも興味ありありです。めっちゃ見ます。インスタの虫眼鏡のとこもそんな投稿ばっかりです(あと不倫マンガ)。

でもやっぱり、目で見て実際に触れて「うわぁ……」って、得も言われぬ幸福感に見舞われるのは「服」なんですよね。とくに古着

古着にも流行はありますが、それぞれのテイストやパターンは大体決まっていて、そう移ろいません。だから一口に「古着好き」と言っても、話が合うとは限らない。

古着を好きになってから、流行を追わなくなったのに、服好きは加速しました。自分のなかでのちょっとした流行=ハマりはあるものの、自分が好きなものは結局好きで。ファッションあるある、5年前の購入品に対して「なんでこれ買ったんだ?」って思うことは少ないです。私は芯のない人間ですが、服に対しては意外と好みがはっきりしてるのかもしれません。けっこうそれが嬉しかったりします。

「服」に感動する性

お笑いとかもそうですが、好きになると細かいところまで目がいって、感動屋さんになりませんか? 私は服に対してもすぐ感動してしまいます。

刺繍の細かさ、見たこともないボタン、袖のギャザーの入り、動いたときの裾の揺れ方、なぜそこに?という位置にあるポケット、いま出会えたからこその色褪せ……。

服に対して語彙力がないので「可愛い~」しか言えないのですが、古着ならではのディテールに毎度胸が躍ります。

自分に似合う、似合わないを置いといてもこの感動は味わえます。なんだったらメンズ古着を眺めるのも大好きです。買いはしませんが、胸躍りすぎてほしくなったことは何度もあります。そのくらい、「服」それ自体が好きなようです。

好きなら好きでいいじゃない

そんななので、たとえ合わせがベストでなくても、顔も髪もすっぴんでも、ネイルなんかをしていなくても、「服」が好きでいいじゃない、と思うようになりました。

最高のコーデを見つけるのも、自分が感動した箇所を愛でるのも自由。それぞれの楽しみ方があっていいんじゃないでしょうか。一般的な「ファッション」に縛られず、自分ならではの向き合い方をするのが大事だと思います。

そのうち、自分が買った服も紹介しようかなと目論んでいます。こんな自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございました。

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