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退職は失恋に似ている、労働者はペンを取れ、自販機は拳銃と覚せい剤を売れ

仕事は男と似ている。

約半年務めたコンテンツ制作会社を金曜日に辞職した。もろもろこのあと行うことはあるが、その職場で働くことはないだろう。辞職の原因は端的にいうと「全く仕事とは関係のないところで起きた小学生みたいなこと」とだけ記しておく。

社会に出てから、差別がひどくなったということだけは、確実だ。でも、このブチ切れてしまう性格は前々職から続いているので、なぜわたしはうまくやれないのかということは分析しなきゃいけないだろう。

仕事は男と似ている。

今回の会社は男に例えると、ずばり「ホリエモンを目指していたがなれなかった中途半端な企業家」だった。上辺ばかりを気にして一切本質的ではないような仕事をする男。わたしの好みとは違う。わたしの好みはもっと学者肌の、営利にうとい、しかしちゃんと文脈に基づいた仕事をコツコツやる男なのだ。

それでも、金曜日の18時に辞職を告げて会社を出たとき、なぜ心が薄ら寒くなったのだろう? それは大失恋の直後に似ていた。ああやっちまったなと思ったのだ。客観的にみたらそこまで思わなくてもよいのに。なぜか。それは前々職よりもその職場が楽しかったからに他ならない。結局そこに裏切られてしまったのだが、「全くタイプではないがつきあってみたら案外よかった」みたいな感じがあったのは確かである。

なぜ、辞職するにしてももっと大人の対応をできなかったのか。それはわたしの入り込み方に問題がある。要するに、その「つきあってみたら案外よかったホリエモン風の男」にどっぷりハマってしまっていたというわけなのだ。

ハマってしまったからこそ、どうでもよい会社じゃなかったからこそ、わたしは発狂してしまった。


100か0思考。


わたしの欠点を、わたしはこう呼んでいる。白黒思考とも呼んでいる。いつでもこの欠点が、わたしの人生のあらゆる局面で「いやそれはやっちゃいかんだろ」ということをやらせるように悪魔の囁きを耳元で行うのだ。

今回だって、「どうせ辞めるんだから徹底的にやったれ」という風になってしまったのだ。時代が時代なら放火していたかもしれない。この極端なわたしの縄文時代の先祖は、おそらくむかついたらすぐ放火するような人間だったに違いない。

次の新しい仕事を紹介してもらった。しかも知り合いに。だからこそ、今度こそ、今度こそ真人間にならなきゃいけない。もしも、予想外のことが起きても。したがって、わたしはこの自分な愚かな恥部を披露して、自省したいと思う。


前職でわたしはタイル工事の施工会社で、施工管理業務に従事していた。いわゆる、現場監督というやつだ。最近、若い現場監督の子が死んでしまった。わたしはとても他人事とは思えない。職人たちにはイビられ、上司からはわけのわからん仕事をふられ、工事に関してやってもやってもおわらない問題が次々と吹き上がってくる。自分の徹底的な無力さを噛み締めざるをおえない。

だがしかし、だ。それは仕事の面で苦しいのであるから、わたしはそこに関してはまだ耐えることができた。キツイのは当たり前、最初はこんなもん、と思ってはいた。わたしが発狂したのはその会社にいるお局とのバトルの結果だった。

だいたい、だ。だいたい、わたしはそのタイル工事の施工会社に出向した1日目から悪口を言われていた。その会社唯一の女だったこともあるのかもしれないが(お局は社員ではなくたまにくるパートだ)、入社一日目からわたしは「イかれギャル」と呼ばれていた。(工事現場のトイレはとても男便所と女便所の壁が薄くて全てまる聞こえだった。)

でもそれはいい。不完全な人格ながら、許そう。「イかれギャル」だと、わたしは自分でもそう思うからだ。

しかし、お局だけは許せなかった。

なんとお局は、わたしの机を数ミリずつずらしていくという姑息ないじめを行ったのだった。

それに気づいたとき、わたしはあまりのつまらなさに愕然とした。いやいや、仕事さぼってないでしょって。おいおい。昼休みにずらされたらさすがに気づくっての。お前の机をずらす後ろ姿見えてるし!!!

若い女⇨むかつく⇨微妙にいじめる、という原理、その他つまらない常識と慣例でがちがちになった職場で働くのに、「わたしの想像力、個性」はまるきり不要なものであった。その職場ではタスクをこなすことに対価が支払われるのであって、わたしの人間性に金が降ってはこない。あたりまえだ。自分の価値を上に見過ぎだ。思い上がりだ。

その会社があった赤羽では新興宗教の勧誘が盛んであった。だから、わたしは最後の出勤日にそのパンフレット「あなたの神はここにいる」を千円で買い、お局のデスクに差し込んでおいた。案の定それはすぐにバレ、職場は騒然となった。わたしは

「机ずらすなって!!!!!」

とお局に叫び、昼の二時に会社から逃げ出した。そして昼から酒を飲んだ。

このように、「どうせ辞めるなら花火をあげる」じゃないけど、わたしのつまらぬ100か0か思考がいつでも邪魔をする。わたしは次の会社では迷惑をかけるわけにいかない。紹介してくれたのはわたしにとって大切な人だからだ。

だからこそ、普通に働けるように、普通に接して欲しい。こう願うのって、間違っていることなのだろうか。



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