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クララに立ってほしかったよ…って呟くハイジみたいな気持ちになったイシグロ最新作

世界同時発売と聞いてかえって読む気が削がれて数日キンドルに放り込んだまま放置していたカズオ・イシグロの新刊『クララとお日さま』だったが、読み始めれば相変わらず緻密な筆致であっという間に読了。

まだ読んでない人を気遣って「ネタバレ注意」とかわざわざ書いてある書評を見るとなんだかな〜って思う。別にミステリーじゃないんだし、ストーリー展開を知りたくなければ読まなければいいだけの話だろう。ということで、ここでは思い切りネタバレもあることを覚悟して読んでもらいたい。

私は何を書くにも怒りをエネルギー源としないと筆が進まず、辛口の貶し芸になりがちなので、この書評は書かないでおこうとも思った。うん、嫌いな本ではないんだけどね、ぜんぜん満足できなかったので。そもそもポジティブな書評でアフィリなんて考えたことはないし。ごめんねダイヤ先生。

でもNYタイムズのミチコ・カクタニなんて、現役の頃はあまりにも酷評すぎて、かえって「どんだけひどいねん?」と興味が湧いて読んでみた、ってこともあるくらいなんで、if you can’t say anything nice, don’t say anythingってのは苦手。

まずは「ノーベル文学賞受賞後の第1作、世界同時発売!」という売り込み方に疑問。もともとイシグロは気が乗らなかったら何年も書かないって言っちゃうような作家だし、これまでも著作と著作の間が10年ぐらい空いてることも珍しくない。それが前作の『忘れられた巨人』から5年で翻訳版も用意できる猶予があったとすると、3年くらいで原稿ができあがっていたと思われる。というわけで、300ページぐらいのカワイイ作品に仕上がっており、日本の市場にもぴったりだったというわけだ。

ぶっちゃけ、ノーベル文学賞なんて、買ってもいないのに当たったよ!っていきなり騒がれる宝くじみたいなものだと思ってるし、ましてや、受賞後の「期待に応えて」の渾身の最新刊!ってな売り込み方も嫌い。でもイシグロさんは、嬉々としてあちこちのマスコミに露出してるみたいだしね。でもこの日本のマスコミでの「名誉日本人」的な扱いがキライ。だったらアリス・マンローとか、オルガ・トカルチェクの受賞後第1作もこのくらい騒いでくれよ、とひがんでいるw

それはさておき、ここからはコンテンツに関する文句ですw

イシグロ作品はどれも、どうやって人は自らの記憶と対峙し、自分の生き方に折り合いをつけるのかって問いを投げかけてくる。信じていたものにことごとく裏切られても、信じていたものがとんでもない悪だったとしても、そこからは逃げられない。

生涯をお屋敷で執事として働く狭い世界しか知らない『日の名残り』のスティーブンスにしろ、自分たちが臓器提供用のクローンと知らずに育つ『わたしを離さないで』の3人組にしろ、霧の中で過去の歴史を消してしまった村を出て息子を探す『失われた巨人』の老夫婦にしても、自分たちが置かれた状況をそれぞれ自分が納得できる形でしか引き受けられない。それを第三者の読者として読むのがイシグロ作品を読む醍醐味だと思っている。

だから今回の『クララとお日さま』の主人公、クララは「人工親友」という設定なので、人間にはできない折り合いのつけ方を期待しながら読んでいたのだが…

こういうストーリーでは、読む方は、その主人公が語るナレーションと現実世界のどこに記憶の歪みがあるのかを手探りで確かめながら読み進めることになる…んだけど、今回の主人公、クララちゃんは主に視覚的に入ってくる情報を蓄積して自らの現実世界を理解していく「うそのつけない」存在として描かれている。

そんな彼女だから、自分を騙すつもりはないが、情報の処理を間違えると誤認をする可能性はあるわけで、他のAFと並べられたお店の中であちこちディスプレイ場所を変えられながら、自らのエネルギー源が太陽光線ってこともあって、クララは太陽を神様みたいな救世主として学習する。これってロボットでさえ、そうなんだから、おそらく人間らしくあらんとすれば、人はどうしても信仰に行き着くってことなのかも。

そして現実世界で、クララが人間から与えられた役目は、既に近未来の世界で学校へ行かず、各家庭で教育を受ける(これがちょうどパンデミック下の自宅学習とかぶる)ティーンエイジャーに、同世代の子と交流して社会性を身につけさせる「道具」として生きる役目を負っている。

ジョジーという子の家庭に買われていったクララは、父不在、上の姉を亡くしてジョジーが同じ運命をたどるのではないかと心配する母親、その家のルールを淡々と説く家政婦メラニア(元ファーストレディーしか浮かばなくなるからその名前はやめて〜)、ジョジーの幼馴染で禁断の初恋の相手リックらとの関係から人間社会というものをつぶさに観察し、学習していく。

この位置付けは、『日の名残り』の執事とか、『わたしを離さないで』のドナーたちと同じで、なんらかの役割まずありきの人生なので、「奴隷」という位置付けじゃないの?ってのをどっかクラブハウスで聞いたけれど、私はlife in servitude/serviceという言葉が浮かんだ。で、クララの場合、これが周りの思惑で、ジョジーのお相手から、万が一の場合ジョジーになれるくらい学習しとけ、って話になるわけで。

クララが献身的にその務めを果たそうとすればするほど、ひねくれ者の私は、クララが「人間のようにうそをつくこと」を学習して、映画「エクス・マキナ」やドラマ「ウェストワールド」みたいな展開を期待したわけだがw

悪くはないんですよ。みんなが言ってる「切ない」読後感もわかる。イシグロ入門書としてはピッタリ。でも私がエージェントだったら、あと5年かけてもいいから、700ページ超えてもいいから、ジョジーの両親の内面、つまりは親の愛ってのを描き切るとか、ジョジーとリックの心が離れていく過程に説得力もたせるとか、人が人を愛するってのはなんなのかをクララが彼女なりに理解したことが暗示されるとか、結局、あのお店のマネージャーってなんなん?ってなところでもいいから掘り下げてみたら〜って言ってたかも。

ところで。この本に出てくる話で、ジョジーをはじめ、子どもたちが病気で死ぬリスクもある「Lifted」という措置がなんなのかを考えていたんですが、ちょうどこの後、読んでる本がウォルター・アイザックソンの新作、THE CODE BREAKERなので、遺伝子改良なんだろうな、って気がしている。そして、こちらはノンフィクションなんだけど、読んでて痛快なので、次の書評はもう少しポジティブなものになるんではないかとw


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