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学校教育って なんだろう ②

教育に関する書籍を読んでいる

そこで気づいてしまったこと
それは

「小学校や中学校の存在が、空気になりつつある」ということ


例えば、朝起きて
「おー、今日もいつもどおり、空気がある!酸素が美味しい」
と思う人が滅多にいないように


「今日も学校というシステムがあって感謝!」と感じる保護者や
「学校という建物があってうれしい! 今日も学校に行ける」
 と思う児童生徒はいない


何か問題やトラブルが起きたときのほうが
印象に強く残る

ごく身近に起きそうなことでは

「今日は プール開放の日だったのに、担当教員の子どもが発熱し、代わりの管理職も夏風邪で、開放自体が中止になった。子どもたちをプールに行かせている間に、行く予定だった病院の予約を変更しなくては」とか

「塾行き始めたら、学校の算数は 退屈だし 
 指名されてもうまく説明できず、カッコつかないし つまらないな
 
 でも受験もあるし、内申点で落とされたら困る
 宿題とか ほんといらない。 
 親に頼んだら 保護者会で減らしてもらえるかな」とか


もっと 深刻な現場での事故の例としては


実験中に理科室から出火して、児童が救急搬送された、とか
プールの授業中に、溺れた子が重い障害を負うことになった、とか

ここまでくれば地方新聞の一面に掲載されてもおかしくない


教員や学校の対応に問題がない、といいたいのではなく

問題が起きた時には、必要以上に注目され、
SNSではどうでも良い憶測や実名まで飛び交い
バッシングとも言える叩かれ方もすることがあるが


何の問題なく学校経営や学級経営ができているときには
それは空気のように当たり前の存在で

社会から、地域住民の方から
ありがたい、と喜んでもらえるような
公的教育機関ではなくなった、ということ


よりわかりやすく表現すれば
心の奥底では次のように思う市民が増えてしまったのかもしれない


「私たちは 日本経済が これだけ厳しい中 必死の思いで
 高い税金を納めている
 先生や職員が ありとあらゆる仕事をして 大変なのは 当たり前
 ましてや やめる自由だってあるんでしょ 」


読んでいた書籍になるほど、と思った箇所があるので以下引用


仕事量の膨大さ、人材の不足、同僚や管理職との人間関係の難しさなど、
教師の置かれている現状は、実に過酷です。
今や「学校じたいが崩壊寸前」と言えるかもしれません。
学校を船にたとえれば、仕事量が規定量を超えて、
過積載で沈みかけている状態です
    
    『いい教師の条件』諸富祥彦 SB新書 p.45より


あ、もっと早く読んでいれば、と思った一冊

こちらの書籍は、教師向けでもありますが、保護者の方にもぜひ


明日の朝起きたときに
学校がなくなっていなければ いいのですが・・・

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