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生きるのが下手

 私の心のうちを、ただ文章にしているだけです。文脈や日本語がおかしいと思います。読んでいて気分がよくなるものではないと思うので、不愉快と思ったならば即戻ることをお勧めします。




  幼少期から生きるのが下手だと自覚している。自覚した頃から、正直ずっと息苦しい。私は私を認められないし、赦せないし、早く死ねばいいと思う。



 過去のnote投稿、Twitterやインスタグラム等のSNS。投稿するものは極力ポジティブなものにすることを心掛けている。

 だがそれはあくまで表の自分であって、実際の私はネガティブで自己肯定感は0。自己嫌悪の塊で、希死念慮をずっと抱えているどうしようもない人間だ。


 周りは私のことを「真面目」「なんでも直ぐにこなす」「しっかりしている」という。誇張しているのではなく、本当に大勢から言われる。どんなコミュニティにいても同じ言葉を聞いてきた。

 そう見えるように振舞っている自覚は全くないし、実際は全く違う。サボれると判断した時は自分に都合のいいように動くし、平気で手を抜く。学校もバイトも遅刻はしたことないが真面目要素はそのくらいだろう。高校の時はつまらないと思った授業は目をつけられない程度の頻度でこっそり抜けて、誰も来ない階段でスマホをいじり、次の授業は何食わぬ顔で戻る。宿題はしょっちゅう写させてもらっていた。

 計画性も無い。夏休みの宿題は最初に4割ほどやって、残り1週間で残りの6割をやるも結局終わらず前日は徹夜を12年間繰り返した。大学のレポートも締切5分前ギリギリ提出を何度やったことか。取り敢えず、やるからには及第点は取って、気が向けばそこそこ丁寧にやる。「しっかりしている」からは程遠い。

周りには何故か色々出来る人扱いをされるが、実際は、黙っているのは時間の無駄だと考えているが故の発言力と、謎のリーダーシップ性のせいで、上辺だけが「真面目」で「しっかりしている」風に見えているだけだ。
 あと、積極的なところも影響しているだろう。だがこれは、何かやって褒められると自己嫌悪に陥るのに承認欲求だけはバカ高いが故のよく見られたい願望からくる、何でもできますアピールというのが実情だ。

 何故こんなにも周りからの評価と本来の自分がかけ離れているのか。 
 みんな噓をつかないでほしい。私へ良い評価や賛辞を与えないでくれ。


  人に迷惑はかけたくない。人に気を使わせたくない。人の手を煩わせたくない。人の時間を奪いたくない。

  私のためではなく、もっと生きていて意味のある人間のために時間を使ってほしい。

  私は他人が怖い。どう思われてるのか。裏で悪口を言われてないか。使えない人間だと思われていないか。

  コミュニケーション能力はある方だが、いつも帰ってから1人で自己嫌悪タイムだ。正直、誰とも関わりたくない。一人で生きていたい。

  寂しいなんて感情は私には不必要だ。人がどう思ってるのかばかり気になり、嫌われたくないと思う気持ちが強すぎる私には、彼氏や彼女という存在もパートナーのような存在も要らない。友人達も本当はどう思っているのか。

 私は他人が怖い。被害妄想も酷い。


 Q.赦してほしい?救われたい?助けてほしい?楽になりたい?愛されたい?甘えたい?褒められたい?認められたい?

 生きづらさを自覚したころから自問自答しているが、いつどんな時も答えは毎回同じだ。

 A.全てNOだが、全てYES。


 何年経っても自分の本心がわからない。私は私という人間に関すること、何もかも一切合切を否定して生きていきたい。でも、その否定を更に否定する自分もいる。

 死ぬまで後悔して生きていきたい。私という人間が辿った道を全て否定したい。否定したい理由を問われてもわからない。でも否定しないと生きていけない気がする。


 よく、自分を赦すことは必要だというが、でもそれは、私に限っては、ただの甘えではないか?

 今だって周りがしんどい思いをしながら働いているというのに、私は退職して3か月経っても今だのらりくらりとしている。過去の投稿にも書いているように、毎日引きこもってネットの番人になっているわけではないが、それでも後ろめたさや後悔は多い。日によっては一日動けずベッドの住人の時もある。金に困れば意地でも働かざるをえないとは言うが、幸いまだそのような環境に置かれておらず、身内も周りの人々も何も言ってこないというのがまた怖い。来月から派遣の仕事を始める予定だが、それでも大多数の同年代と比べると人として劣っているのだろう。


  昨年、虚無状態が続き、思うように動けなくなってしまった。大学やバイトは行っていたが、朝から吐きそうになりながらも体にムチを打ち、周りからは心配されないように頑張った。でもさすがにマズいと思い、少しの間メンタルクリニックに行っていた。それ以前の学生生活ではずっとスクールカウンセラーを利用していたが、効果が得られなかったため、医者を頼るのもありかと思ったから行くことにした。

  軽度の鬱と診断。薬を貰ったが、飲むと酷い吐き気と目眩に襲われたため結局全然飲んでいない。


 幼少期、まだ世間知らずのクソガキだった頃、とても波長が合った友人がいた。名前をKとする。近くの席になった際に、とあるアニメの話題を振られて私もその作品が好きだと話しているうちに意気投合した。Kは博識で、ネットにアクセスする機会があまりなかった私に、色々な情報をくれて毎日楽しませてくれた。禁止されていたお菓子を持って来て2人でこっそり食べたり、入ってはいけないと言われていた場所に忍び込んだりその他色々。思い返せば小さなことばかりだが、当時はとてもワクワクする冒険じみた出来事だった。何事にも真面目で誠実で完璧に、というようなことしか知らなかった私に、息の抜き方や楽しみ方を教えてくれたのはKだった。

 悪友であり、兄のような存在だったが、縁というのはそう長く続くものではない。進級し、人数やクラスも増え、話す機会もなくなった。性別も違ったし、思春期故の壁のようなものもあった。自然消滅といっていいだろう。 高校の時、模試会場で偶然会い、声をかけられたが、ほんの少し話してそれっきりだ。

 もし今、Kに出会えたらと思うことがある。昔、息の抜き方を知らない頭の固い私を変えてくれたように、何か言葉をくれるかも、私を救ってくれるかもと、心のどこかで思ってしまう。Kからすれば私のことは昔の同級生の1人という認識だろうが、私からすれば、人生に影響を与えてくれた人といっても過言ではない存在だった。

 縁が切れた現在、SNSを駆使すればもしかしたら見つかるかもしれないが、今更Kが私と再び縁を繋ぎたいと思っているかどうかわからないため探したいとは思わない。地球上のどこかで元気にしていてくれればいいが。こんな世の中だ。もう会うことはないだろう。Kには良い人生を送ってほしい。
 私の生き霊とか飛んで行っていなければいいが、飛んできていたら塩でも撒いておいてくれ。


 私は多趣味だ。好奇心が強く、取り敢えずやってみたらそこそ楽しかったから続けているということがよくある。だが本当は、軽率に死なないためのストッパーを作っているだけなのかもしれない。あの漫画の結末が知りたい、あの映画をまだ観ていない、理解するには知識が足りないから勉強したい等、何かと理由をつけて死ねない理由にしているだけだ。

 その中でも一番のストッパーは、10年前に初めて出会ったアーティストの曲だろう。初めて聴いた時、全身に電気が走った。一生聴き続けるとその時思った。私は彼の歌声、音、歌詞、世界観、ライブの演出、考え方。彼を構成する全てが、不完全な私をこの世に繋ぎ止めてくれていると思っている。出会えたことに感謝している。


  長年、漠然とした希死念慮にずっと囚われて生きている。これは本当に悩みの種だ。授業中、仕事中、友人と遊んでいる時など、場所も時間も問わずに急に襲われる。訳が分からないままにただ脳内に自殺を仄めかす声が聞こえる。幻聴であり、私の被害妄想の一部だろう。

  顔や態度に出ないようにしばらく耐えると、急に醒めるような感覚になって聞こえなくなる。

  何かとよく起こるが、幸いと言っていいのかだが肌に残るような自傷行為には及んでいない。手当の道具が勿体ないと思うし、何より他人が見て気分が良くなるものでもない。
  だがその衝動は心に言い聞かせることで抑え込んでいるのかもしれない。よく脳内で、自分自身を滅多刺しにしたり、拷問のようなものにかけたりして気が済むまで脳内の自分を痛めつける。心臓を刺したり首を絞める妄想もする。

  脳内なら何度でも繰り返せるし、服も汚れないし手当する必要もないためお手軽だ。


  世の中毎日暗いニュースばかりだ。何が起こった何人死んだとか。聞かない日は無い。これからもっと増えていくだろう。

  不謹慎極まりないことを言うが、なんで私じゃないんだろうと思う。こんな不完全な私より、生きるべき人が山ほどいるのに、何故?同年代の不幸なニュースが流れてくると代わってあげたいと思う。

  私が死ねないのは、死ぬタイミングが今じゃないからだろう。私の天命はいつなのか。


  こんなこと書いているともう深夜2時前になってきた。5時起きで畑仕事を手伝いに行かないといけない。数時間前にこんなくだらないことを書いていた自分は、何食わぬ顔で友人と会い、一緒に作業に勤しむのだろう。

  私は私が大嫌いだ。誰か私に罰を与えてほしい。否定の言葉がほしい。誰も私を救わないでほしい。価値も意味もないであろう人生を、私はこれからも後悔し続けながら生きるしかない。

  結局、私はまだ死ねない。結局、未だに自分のことはよく分からない。なんで死にたいと思ってしまうのかも分からないまま生きている。

 今世の天命が来る前に、Kにもう一度会えたらと思う。そんな日は来ないだろうけど。